[30号] コラム「どこで何になってまた会うだろうか」、映画評『道の上に金大中』など 全5トピック

ジャーナル形式になって2号目、通算で30号となる節目のニュースレターです。ゆっくりとお楽しみください。
徐台教 2024.01.20
誰でも

 サポートメンバーの皆さん、アンニョンハセヨ。1月も既に半分が過ぎましたね。今年もまたあっという間に過ぎ去ってしまうのではないか。そんな焦りを早くも感じています。

 朝鮮半島は落ち着かない状況が続いています。

 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は連日のように韓国を切り離し日米韓を敵対視する言説が発表する傍らで着々と軍事力を積み重ねています。韓国はすべての出来事が4月10日の総選挙にどう影響するのかでのみ判断され、人の顔と全体の状況が共に見えない暗闇です。

 今号はこうした情勢の中で、いかに落ち着きを持つことができるかを考えた構成にしてみました。少し長めになってしまいましたが、お時間があるときに少しずつお読みください。

 目次は以下の通りです。

  • 巻頭コラム:どこで何になってまた会うだろうか

  • ドキュメンタリー紹介:『朝鮮中央テレビジョン…‘見慣れているけど距離のある’、‘パンドラの箱なのか’』(SBS特別企画、二部作)

  • 読書体験:『記者遺憾 기자유감』〜沈黙しない記者と尹政権のたたかい〜

  • カルチャー:映画『道の上の金大中』〜今かがやく妥協と寛容の精神〜

  • カルチャー:美術館紹介『煥基美術館』(ソウル)

  • あとがきに代えて:いくつかのお知らせ

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◎巻頭コラム:どこで何になってまた会うだろうか

 ルクセンブルクに移住して15年になる姉が、健康診断のため韓国にやってきた。久しぶりの再会に喜ぶ母と家族と共にソウル市内のインド料理屋で舌鼓を打ち、近所の教保(キョボ)文庫に向かった。現地で韓国料理屋を営む姉はレシピ本をじっくり見たいという。ビルの地下一階を丸々使った韓国最大の本屋だけに日曜の夜でも活気がある。特に一枚板のテーブルで20人以上が本を読んでいる一帯には知的な熱気が漂っている。私が韓国の大学生だった20数年前にも、同じ場所でたくさんの市民が床に座り、むさぼるように本を読んでいた。韓国っていいなと思いながら私もその一団に加わったものだ。

 さらに進むと一角に新設されたアートスペースで韓国の近現代美術展が開かれていた。「6人の巨匠の作品を集めた」と書いてある。居並ぶ作品の印象は正直あまり覚えていない。それよりも私の目は隅にあった参考図書の表紙に釘付けになっていた。『どこで何になってまた会うだろうか』。韓国語では어디서 무엇이 되어 다시 만나랴となる。すぐに涙が出そうになった。2年前に長い闘病のすえ亡くなった父と、昨年末に急死した父と同年代の作家の徐京植さんを思い出したためだ。ここで泣いてはまずい。「おい、こっちに来てみろ。この文章かっこよくないか」。少し離れた所にいた息子に声をかけ気を取り直した。改めて表紙を見ると、青字のタイトルの下で気難しそうだが凜々しい男性が腕組みしている。キム・ファンギのエッセイとあった。もう少し見ようとしたところで姉がやってきて時間切れとなった。

 姉をホテルに送り家に戻ると夜の11時近かった。狭い仕事部屋に座り、キム・ファンギと検索してみる。韓国語版ウィキペディアの「韓国の抽象美術の先駆者であり、20世紀の韓国美術を代表する画家」という一文に続き、「キム・ファンギの『宇宙』132億ウォンで落札」という記事のタイトルが目に入ってきた。そう。私が知らないだけで金煥基(キム・ファンギ)は韓国でとてもとても有名な画家であった。

 日本による植民地支配下の1913年に全羅南道(チョルラナムド)新安(シナン)郡で生まれ、33年に東京大学美術部に入学。藤田嗣治や東郷青児に指導を受け37年に帰国。韓国政府樹立後の48年から50年までソウル大学美術科教授を務め、その後も教壇に立ちながら制作活動を続けたとある。後にパリ(56年~59年)、ふたたび韓国を経て63年にニューヨークに渡り同地で74年に生を閉じた。その作風も多彩だった。「自然との一体から観照を経て超越に至る崇高の美学を、造形的に完成させていく芸術の旅程であった」という評の通り、50年代、60年代、70年代と抽象画の中で表現方法を変えていったという。

 そしてひとしきり説明を読む中で再び『どこで何になってまた会うだろうか』という一文が出てきた。金煥基が60年代後半から続けてきた「点画」のうちで最高の傑作とされる連作のタイトルだった。濃い青の濃淡で描かれた点と四角がキャンバス一面を覆った作品からは画面越しでも深みのある世界観が伝わってきた。なによりも圧倒的に美しかった。私は一気に引き込まれていった。

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 水曜日は午前中から首都圏に大粒で湿った雪が降り注いだ。勢いはやまず、住まいのある金浦(キムポ)から約一時間かけてソウル付岩洞(プアムドン)に着く頃には道路はすっかり白く覆われていた。目的の『煥基美術館』は大通りから古い家並みが並ぶ急な丘を登った所にあった。検索の末に金煥基の絵画、中でもニューヨーク時代の点画を常設している美術館の存在を知り訪ねていったのだった。毎日ゴロゴロと冬休みを満喫している子どもたちも私の熱気にあてられたのか、素直についてきてくれた。

 チケットを買いさっそく三つの棟に分かれた建物のうち本館に向かう。そう広くはないが高い天井とぜいたくな空間利用からか居心地は良い。目当ての『どこで何になってまた会うだろうか』は三階にあった。縦292センチ横216センチ。大きい。実物からはネットで見た時の深みが何倍にもなって直接的に伝わってきた。だが何よりも濃い青が本来持ち得ない温もりこそがこの作品の真の魅力であることが理解できた。もっとも心情的な影響も大きかった。

金煥基, <10-VIII-70 #185 어디서 무엇이 되어 다시 만나랴 どこで何になってまた会うだろうか> 連作, 1970, コットンに油彩, 292x216cm ©​煥基財團·煥基美術館 コピー・ダウンロードはお控えください。

金煥基, <10-VIII-70 #185 어디서 무엇이 되어 다시 만나랴 どこで何になってまた会うだろうか> 連作, 1970, コットンに油彩, 292x216cm ©​煥基財團·煥基美術館 コピー・ダウンロードはお控えください。

 韓国に金珖燮(キム・グァンソプ)という詩人がいる。金煥基よりも9歳年上の1904年生まれ。高校の教科書にその詩が掲載されるほどの評価を受ける、独立運動家でもあった同氏の作品に「夕べに」という詩がある。訳してみる。

あんなにたくさんの星の中から星ひとつが私を見おろす
こんなにたくさんの人の中から
その星ひとつを見あげる

夜が深まるほど
星は明かりの中に消えさり
私は闇の中へと消えてゆく

こんなに情が通う
君ひとつ私ひとつは
どこで何になって
また会うだろうか
夕べに(金珖燮)筆者訳

 金煥基の名画の陰に金珖燮の存在があった。少し調べると画家と詩人は旧知の仲であるばかりか、ソウルの同じ地域に住んでいた。画家は詩人を敬愛してやまなかったという。しかし1970年のある日、金煥基は金珖燮が脳卒中で倒れ世を去ったと聞く。ちょうどこの時に韓国のある新聞社が始めた韓国美術大賞への出典を求められた。この時の心情を金煥基は日記にこう綴っている。「(前略)出典することを決める。怡山(金珖燮の号)の詩『夕べに』を常に心の中でうたっている。詩画の大作を作り韓国展に送ろうと考えている」。こうして誕生したのが『どこで何になってまた会うだろうか』だった。同作は大賞を受賞し、いくつかの連作が作られた。『煥基美術館』にあるものはその中の一つだ。

 私は恥ずかしながら、つい数日前までこんな作品の背景はおろか金煥基も金珖燮も全く知らなかった。しかし教保文庫で見た表紙の一文から受けた印象が間違ってなかったことを知り鳥肌が立った。金煥基はキャンバスに敬愛する人物への想いをぶつけたのだ。それは父と、作家との別れを惜しむ私の気持ちそのものであった。付言すると韓国語の만나랴は様々に解釈できる。「会おうか」でもよいし「会えるだろうか」でもよい。広大な宇宙の中で出会い、そして別れるが、いつかまた会うときがくる。だから私は「会うだろうか」とした。

 いつか訪れる家族や友人との別れの際にもまた、この一文を思い浮かべるかもしれない。しかし2024年のいま、私の、いや、私たちの耳には世界中で起きる悲劇と無念の死の知らせが絶え間なく届いている。金煥基の大作『どこで何になってまた会うだろうか』はそんな時代へのレクイエムであると同時に、再生への希望にもなり得まいか。否、そう考えないと精神が保たない気がする。死を希釈するつもりはないが、拠って立つものも欲しい。一つの詩句との出会いが人生を左右することがある。そんな得がたい経験をした数日間だった。

 なお、後聞によると金珖燮は亡くなっておらず金煥基がニューヨークで斃れた3年後の77年に世を去った。二人がどこかで何かになってまた会っていると想像するのは私だけではないだろう。

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◎ドキュメンタリー紹介:『朝鮮中央テレビジョン…‘見慣れているけど距離のある’、‘パンドラの箱なのか’』(SBS特別企画、二部作)

 年末年始にかけて、南北関係を根底から揺るがす大きな変化が起きています。きっかけは年末の朝鮮労働党中央委員会で金正恩氏が「北南関係はこれ以上は同族関係・同質関係ではない、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国関係として完全に固着した」と述べたことによるものです。

 それから約20日間、韓国では毎日喧々囂々の議論が続いています。

 詳細は来週から毎週水曜日に発行する「南北関係専門ジャーナル」で触れていきますが、議論の現在地を要約するならば、▲北側は過去のあらゆる南北間の合意を破棄した、▲それでも韓国は「平和」と「特殊関係」という原則を維持すべき、▲北側の措置が可逆的なものか不可逆的なものかは分からない、▲現在の過程は北朝鮮の変化のためには避けられないもの、▲全面戦の危機は全く無いが偶発的な衝突がエスカレートする可能性はある、といったところです。

 それぞれの内容が深い議論を要するものであるため、継続して追っていきたいと思います。一方で、こんな議論が韓国社会一般ではまったく興味を持たれていないという雰囲気もまた感じます。

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 そんな中、例によって何か良いドキュメンタリーはないものかと探していたところ、韓国社会の北朝鮮についての認識を知るにもってこいの番組がありました。

韓国の地上波民放SBSが制作した2部作がそれで、昨年11月25日に放映された『朝鮮中央テレビジョン…‘見慣れているけど距離のある’』と12月2日の『朝鮮中央テレビジョン…‘パンドラの箱なのか’』です。

番組タイトル。筆者キャプチャ。

番組タイトル。筆者キャプチャ。

 番組の問題意識は尹錫悦政権が22年5月の発足と同時に掲げた「放送・言論・通信分野での(南北)相互開放を段階的に進める」という公約について改めて考えてみようというものです。具体的には「北朝鮮国営の『朝鮮中央テレビジョン』の開放を本格的に議論してみてはどうか」というところにあります。そのためか、やや啓蒙的な内容でした。

 番組ではまず『朝鮮中央テレビジョン』の歴史や最近の変化に触れていきます。1963年3月に始まった同局が韓国より早い1974年4月15日にカラー放送を始めたことなどは初めて知る内容でした。

 また「一号報道」と呼ばれる最高指導者の動静を伝える日本でも有名な名物アナウンサーのリ・チュニが、中国の番組との交流で演劇がかった口調ではない普通の口調を話している姿も興味深いものがありました。

 放送内容については、父・金正日(キム・ジョンイル)の死と共に登場した金正恩氏が最高権力者となった12年以降から変化があったとします。習字画の大会、温泉施設の紹介や時代劇をはじめ、資本主義の象徴ともいえる広告、そして西洋文化を完全に取り入れたモランボン楽団など確かに多彩です。

 韓国の専門家は「北朝鮮の20代30代が海外文化に触れているので北朝鮮もそれに合わせて水準を上げる必要があったのでは」と推察しています。この時の海外文化というのは、当局に隠れて視聴する米国や韓国、中国などのドラマや映画など映像作品のことです。

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 番組ではこんな北朝鮮の最新のプログラムを韓国の市民がどう受け止めるのかについて、世代別の反応を見せてくれます。少し並べてみましょう。

・50代男性:普段テレビで見ない内容が多い。・40代男性:(北朝鮮に対する)固定概念が壊れた。
・20代女性:リ・チュニによるニュースだけやっていると思っていた。多様な内容に衝撃をたくさん受けた。いま私が知っている北朝鮮が実際の北朝鮮と異なる可能性があるというのを感じた。
・20代女性:実生活を伝えるのではなく演出していると感じて距離感を感じる。
・70代女性:(北朝鮮が)変わるかもしれないという考えが起きる。
・70代女性:(会話に割り込みながら)変わるわけがないだろう。韓国の様に自由奔放な動作や表現が上手ではない。
・80代男性:100回見ても全部嘘だと思う。
番組より

 なかなか辛辣ですね。番組では次に、実際に朝鮮中央テレビジョンが韓国の一般家庭のテレビで見られるようになるとしたらどう思うかをこの人物たちに聞きます。やはり引用してみます。

・20代女性:リ・チュニによるニュースだけやっていると思っていた。多様な内容に衝撃をたくさん受けた。いま私が知っている北朝鮮が実際の北朝鮮と異なる可能性があるというのを感じた。・80代男性:時事に関する内容を見たい。どれだけ(北朝鮮が)変わっていくのか。・20代女性:北朝鮮の街並みはどうなっているのかなど、はじめは興味深く見るかもしれない。・40代男性:そのうち関心が低くなるだろう。・70代女性:韓国の番組があまりによくできているから、そっちを見るだろう。・80代男性:韓国の国民は目覚めている。自由を知っている。北朝鮮の宣伝は意味がない。・20代女性:開放には反対。安保問題は小さな火種から始まると思う。・50代男性:北朝鮮の放送を見るからと昔のように「アカ」になるとは思えない。
番組より

 韓国の基準では北朝鮮の番組があまり面白くないとしつつも、無条件で開放されることを諸手を上げて賛成する訳にもいかないというところでしょうか。

 番組では独自に行った世論調査(23年10月に実施)結果が紹介されていました。「朝鮮中央テレビの開放をどう思うか」との問いに賛成47%、反対43%、分からない11%という結果でした。

「朝鮮中央テレビの開放をどう思うか」。賛成47,反対43,分からない11。番組よりキャプチャ。

「朝鮮中央テレビの開放をどう思うか」。賛成47,反対43,分からない11。番組よりキャプチャ。

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 番組の舞台はドイツに移ります。朝鮮半島と同じように分断し、統一を成し遂げた定番の「先輩」です。なんと、西独は45年の分断期間中、一度も東独の放送を遮断したことはないとのこと。東独放送の視聴者の数も年ごとに減り、ベルリンの壁が崩壊した89年にはほとんど無視されていたそうです。

 一方の東独ではアンテナを撤去するなど西独の放送が目に入らないようにしていたものの、実際には約8割の人々が見ていたとします。特に夜8時の西独のニュースは情勢を知るためにたくさんの東独人が見ていたとし「昼は分断、夜は統一」という言葉が存在したといいます。「なぜ韓国は北朝鮮の放送を開放しないのか」と驚く現地の声が紹介されていました。

 これは余談であり、何度も繰り返し述べてきたことでもありますが、統一に関する議論の中でドイツを例にとるのは本当にもう限界ではないかなと思います。

 ドイツ分断は45年、南北分断は79年、さらに東西ドイツは南北朝鮮と異なり戦火を交えていません。理想を追い求める意味でドイツの例を知ることは必要ですが、最近ではドイツと朝鮮半島のギャップばかりが目につき、徒労感を感じてしまいます。個人的な話でした。

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 2部作の番組の中で最も印象的だった一連のシーンを紹介します。

 まず、03年や18年に南北交流の一環として韓国の女性アイドルグループが平壌公演を行ったときの北朝鮮住民の表情にフォーカスしました。当時の映像を見ると皆、口を結んだ固い表情をし無言のまま舞台を見守っています。アイドルの明るく派手なパフォーマンスと正反対の反応でした。

 次は03年8月に韓国の大邱(テグ)市で開催されたユニバーシアードが舞台となります。当時、北朝鮮選手を応援するため北朝鮮のいわゆる「美女軍団」が応援に訪れた際の出来事です。道端に掲げられた金正日の顔写真入りの懸垂幕を「このままでは将軍様が雨に濡れてしまう」と怒りながら回収するのです。

 このシーンを見せられた韓国の20代のモニターたちがちょうど、アイドルの公演を見守る北朝鮮住民と同じ「信じられない」という表情をしていたのが印象的でした。

複雑な表情で北朝鮮の人々の姿を見守る20代のモニターたち。番組よりキャプチャ。

複雑な表情で北朝鮮の人々の姿を見守る20代のモニターたち。番組よりキャプチャ。

 ここで「同質性」という言葉を考えてみましょう。

 これは同じ民族としての「共通の資質」を意味するものです。南北政府が別々の社会を形成し対立する過程で失われ「異質性」が増え続けているとの見解です。このため、一般的に同質性は「回復」という言葉とセットで使われます。

 現に尹政権が掲げた「放送・言論・通信分野での相互開放を段階的に進める」という北朝鮮政策の目的もまた「民族同質性の回復」でした。

 一方で金正恩氏は年末に「同族関係・同質関係ではない」としています。同質性を認めないことで、統一する必要性もまた無くなる訳です。なお、言語は同質性に含まれません。同じ言葉を使う別の国家は世界に山ほどある訳ですから。

 南北が互いの情報(メディア)を交換することで、共通項を見つける。そうして目指すべき統一の輪郭がようやく浮かび上がってくるのですが、南北はこれを一切やってきませんでした。

 番組には北朝鮮学を専攻する大学院生が登場し「互いにあまりにも知らない。知るための通路がない。好きでも嫌いでも知らなければならない」と語ります。非常に重い指摘です。

 こうして南北政府が共に敵対する相手の情報を遮断してきた結果、統一の必要性を認める韓国の20代はわずか35.3%となりました(23年、統一研究院)。

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 番組では最後に、改めて「朝鮮中央テレビジョンの開放を議論してみよう」と呼びかけます。言論機関として立派な主張ですが、こんな議論を呼びかけなければならないほど韓国社会が硬直していることの裏返しでもあります。私はゾッとしました。

 冒頭で金正恩氏の「反統一的な発言」にも韓国市民は静かだと書きました。ひと言でこの現象を説明するのは危険ですが、無関心がデンと鎮座しているのは疑いようもありません。現に公開から二か月近く経つこの番組の再生数は、第1部が8300回、第2部が4700回と惨憺たるものです。

 金正恩氏はおそらく、自身を中心とした現体制を守るため韓国は邪魔になると判断したのでしょう。一連の「絶縁宣言」が韓国向けではなく北朝鮮内部に向けたメッセージとされる所以でもあります。韓国は既に北朝鮮から遠いところに離れている。そんなことを改めて思い直すドキュメンタリーでした。

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◎読書体験:『記者遺憾 기자유감』〜沈黙しない記者と尹政権のたたかい〜

 一昨年の22年9月、韓国や米国で大きく話題となった報道がありました。いわゆる「バイデンーナルリミョン」事件です。

 当時、訪米中の尹錫悦大統領がバイデン大統領と短い対話を交わした後、歩きながら「国会であの野郎どもが承認してくれなかったらバイデンはこっぱずかしくてたまらないな」と語った場面を、公営放送MBCをはじめ韓国の各メディアが伝えたものです。

 この時、バイデン大統領はグローバルファンドに資金供出を約束するスピーチを行っていたため、発言はバイデンを馬鹿にするものと受け止められました。

 大統領室は報道から13時間後に「バイデン」ではなく「ナルリミョン(날리면、失敗したらの意)」であったと訂正します。これにより尹大統領の発言は「国会で承認せず失敗したらこっぱずかしくてたまらない」へと修正されました。

 さらに発言は米国とは無関係で韓国の国会に向けた言葉であったと発表し火消しを図ると同時に、韓国外交部がMBCに訂正報道を要請しました。しかしMBCがこれを拒否したことを受け、外交部は22年12月にMBCを告訴しました。

 その判決が今月12日にありました。これを報じた12日付けのMBCによると裁判所は「専門家が映像を鑑定し、悪口と卑俗語は確認したが『バイデン』または『ナルリミョン』の部分は判読できなかった」と結論を下しました。

 また当時、朴振(パク・ジン)外交部長官が尹大統領と「韓国の国会の同意を得られるか憂慮する対話を交わした」と主張したことも考慮されたとしています。また、大統領室がやはり当時「外交上の負担になるため報道しないでほしい」と各メディアに要請したことについても裁判所は「大統領室が直接、問題となった発言を認めたことはない」と判断したとのことです。

 つまり、MBCが恣意的な報道をしたという結論でした。裁判結果を伝えるMBCの記事によると、当時148のメディアが同じ報道をしましたが、裁判所は「MBCの報道に影響を受けた可能性があり、MBCが字幕をつけ、別の形に解釈する可能性を遮断した」としたそうです。

 強引な判決と言わざるを得ませんが、この事件、そしてMBCと尹錫悦政権の衝突の中心にいるイ・ギジュ記者が昨年12月に世に問うたのが本書『記者遺憾』です。

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 イ・ギジュ記者は二つの報道とひとつの発言で、尹政権を揺るがしました。

 一つ目は「大統領機民間人搭乗」報道です。これは22年6月に尹大統領が就任後初の外遊でスペインを訪れた際、専用機に大統領室の職員ではない民間人が搭乗していたことを見事な取材で突き止めたものです。

 この民間人は大統領室の人事秘書官A氏の妻でした。さらに尹大統領夫妻がA氏夫妻の結婚を取り持った親しい間柄だったこと、さらにA氏夫人が金建希(キム・ゴニ)大統領夫人を随行したことをも明かし、「公正」を掲げた尹大統領の欺瞞を暴きました。

 二つ目は22年9月にあった、前述の「バイデン―ナルリミョン」報道です。この時にイ記者は大統領室担当記者として、尹大統領の訪米に同行していました。記者団に共有された動画の中から件の発言を最初に見つけ、他社の記者たちにその存在を知らせると共に、正確な発言を確認しようとしました。米国現地で他社の記者たちに対し「皆で尹大統領が何を言っているのか確かめよう」と呼びかけています。

 MBCが最初に報道したのは事実ですが、報道に踏み切るまでには慎重だったとイ記者は著書の中で述懐しています。既に民間人搭乗事件の報道で政権と緊張関係にあったためでしたが、報道が出た当日に国会で政府への質問日程があり、そこでMBCニュースが何度も引用されたことで「バイデンーナルリミョン報道=MBC」という構図になりました。イ記者の元には検察から「偽計公務執行妨害」と「名誉毀損」の嫌疑での「被疑事実通知書」が届いています。

「バイデンーナルリミョン報道」の内容。MBCニュースをキャプチャ。

「バイデンーナルリミョン報道」の内容。MBCニュースをキャプチャ。

 そして最後は、22年11月18日です。MBCはこの直前の尹大統領の東南アジア歴訪の際に、大統領専用機に乗せない旨を通告されます。理由は「外交に関する歪曲報道」、「友好国との葛藤(軋轢)の助長」、さらに「代役の未告知」などでした。前者二つは「ナルリミョン報道」に関するもので、米国との仲違いを図ったというレッテル貼りです。

 「代役の未告知」とはMBCが看板調査報道番組『PD手帖』で金建希女史の論文ねつ造に関するドキュメンタリーを制作した際、金女史に似た女性を再現ドラマで出演させるも「代役」という字幕を入れなかったことを指します。「報復」にしか見えない大統領室の方針に対し他社の記者も声を上げますが意味はなく、MBCは民間機を乗り継いで外遊先に向かうことになりました。この時に同調したのは進歩紙『京郷新聞』と『ハンギョレ』だけでした。韓国メディアの腰の引け具合がよく分かります。

 イ記者はこの日のぶら下がり会見の際、尹大統領に直接質問しました。ぶら下がり会見は当時、ドアステッピングと呼ばれ尹大統領が出勤時に記者団の質問に答えるものでした。

 イ記者の質問内容は尹大統領が専用機の中で特定のメディアの記者2人だけを呼んで1時間話をした点を指摘するものでした。「個人的な用事だった」と答えた尹大統領に対しイ記者は「公的な空間ではないかと」と追加質問を行うも尹大統領は答えませんでした。

 さらに別の記者の質問に尹大統領は96秒かけてMBCへの不満を露骨に明かします。「MBCが悪意的に報道している」という内容もありました。イ記者はすぐにまた尹大統領に対し「何が悪意的なのですか?」と問いかけるも、質問の途中で尹大統領は立ち去ろうとします。結果として後から質問する形となりました。

 これを大統領室の広報担当秘書官が「礼儀がなっていない」と諫め、イ記者との間で言い争いとなります。その姿が各社で報じられました。そしてなんと尹大統領はこの日以降、ぶら下がり会見を止めてしまったのです。尹大統領が通っていた通路には壁が設置され外からは出勤する姿が見えなくなりました。今日まで会見はされていません。

書籍『記者遺憾』。メディチメディアから出版された。筆者撮影。

書籍『記者遺憾』。メディチメディアから出版された。筆者撮影。

 書籍に戻りましょう。08年に韓国経済TVで記者生活を始めた著者は、メディアの現場で起きている出来事を赤裸々に明かしていきます。企業の協賛を得るためにゴルフ場で接待をし、新聞社にとって大きな収入源となるシンポジウムでは協賛企業の幹部の駐車案内まで記者が行ってきたといった具合です。

 さらに権力を監視するのではなく、権力者になろうとし、権力と一体となり暴走する記者の姿まで実際の例を挙げながら説得力をもって語っています。こうしたエピソードを通じ読者は普段あまり知ることのできない韓国記者業界の内幕への理解が深まるでしょう。

 記者だけあって読みやすい構成の本でしたが、読後感は「メディアを抑えつける政府あるところにスター記者が生まれる」というものでした。地道な取材で大スクープをはなち、権力に屈せず声を上げる。私は面識はありませんが記者の鑑のような人物という印象を強く受けました。これからも記者としてのイ・ギジュさんの活躍に注目です。

 なお、今回の判決を受け、イ記者は言論労組が運営する『メディアオヌル』にコメントを出しています。「最初から答えが決まっていた裁判だと考える」、「鑑定不可能という意見なのにこれを根拠に訂正報道せよというのは納得いかない」と正面から反駁しました。一方で、今回の判決を皮切りにMBCへの政権からの圧力が強まると見立てています。

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◎カルチャー:映画『道の上に金大中』〜今かがやく妥協と寛容の精神〜

 金大中(キム・デジュン、1924~2009)といえば、韓国では民主化運動の象徴の一人として、また執念で大統領にまで登り詰めた人物としてして知られている。生誕100年を迎えた今年、関連イベントや書籍の出版が相次ぐなか、ひと際注目を集めている映画が『道の上に金大中(原題:길 위의 김대중)』だ。

 映画は全羅南道新安郡の荷衣島(ハウィド)に生まれた金大中が、実業家を経て政治の世界に足を踏み入れた1954年以降、独裁政権に対する闘争を続けついに民主化を勝ち取る1987年までの足跡をたどるものだ。

 金大中自身の回顧や当時の映像、一人目の妻と死別後に再婚した李姫鎬(イ・ヒホ、1922~2019)女史をはじめ元側近たちや専門家の証言を交え、50年代から80年代のかけての金大中の政治意識の変化を丁寧に追っている。

 政治家としての初期は苦難の連続だった。木浦市の新聞社を買収するなど順風満帆だった海運業を営む実業家生活を止め、「独裁とたたかう」と政治を始めるも落選に次ぐ落選。61年にようやく当選したら直後に朴正熙(パク・チョンヒ)によるクーデターが起き政治活動を制限される。

 次の見せ場は64年から65年にかけての日韓国交正常化交渉だった。朴大統領を「売国奴」と呼び反対する野党議員の中で、金大中は国益の観点から交渉に賛成した上で、植民地問題の清算などを交渉に含めることを朴大統領に求める合理性を見せた。

 71年に臨んだ朴大統領との大統領選での一騎打ちも、今では考えられないものだった。金大中の演説にたくさんの市民が集まる様子からは民主主義を求める当時の熱気が伝わってくる。クライマックスは100万人の市民が集まった奨忠壇公園での演説だ。今はどんな候補が演説しても1000人集まればよい方だからだ。

今月10日に韓国で封切りされた。大衆的な映画とは言い難いかもしれないが、観る価値は十分になる。ミョンフィルム提供。

今月10日に韓国で封切りされた。大衆的な映画とは言い難いかもしれないが、観る価値は十分になる。ミョンフィルム提供。

 映画は、政治家としての金大中の成長にも焦点を当ててゆく。自身の釈放を重要な要求の一つとして起きた1980年5月の光州民主化運動が弾圧されたことを、拷問を受けた中央情報部の一室で知り気を失ったエピソードをはじめ、命を狙われる民主化運動の各場面で、金大中がいかに強くなっていくのかが丁寧に明かされていく。

 しかし金大中が金大中たる所以は、そんな強さが「妥協」と「寛容」に収斂されていくことにある。光州民主化運動を弾圧した全斗煥大統領の赦免を後に行うなど、金大中はいかなる問題においても片方の陣営が消滅する形での問題解決はないということを誰よりも知っていた。これが他の政治家と一線を画するものだった。次作で触れられるだろうが、朝鮮戦争当時、木浦(モクポ)市で占領中の北朝鮮軍に逮捕され死刑直前で難を逃れた経験を持ちながらも、後に北朝鮮との和解協力を推進する点もこれに当たる。

 標題は「私は常に道の上にいた。呼ばれればどこにでも行った」という金大中自身の言葉によるものだ。民主化から35年を迎え韓国政治は完全な分極化(陣営化)の中で青息吐息となり、少子化や格差拡大、地方消滅といった根本的な社会問題への解決策を全く示せずにいる。まさに今「民主主義とは何か」、「議会政治とは何か」を問い直す時期に来ていることが自明な中、本作はそのための恰好の材料となるだろう。

 それにしても、金大中の歩みは韓国現代史そのものだと強く思った。本作は豊富な当時の映像を使っているため現代史を知るための一編としても有用だろう。日本では既に東京と大阪で試写会が開かれたようだが、広く観られることを望んでやまない。

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◎カルチャー2:『煥基美術館』紹介

 巻頭コラムで取り上げた金煥基の作品を収めた美術館です。ソウル都心の光化門からバスで10分ほどの付岩洞(プアムドン)に位置しています。

 静謐な空間でぜひお薦めなのですが、一点問題があります。今年は1月31日までで観覧をいったん取り止め、2月からはリノベーション工事に入るとのこと。美術館側に確認したところ、工事には半年ほどかかるそうで、観覧は夏以降に可能になりそうです。

美術館は三つの建物に分かれています。写真はメインの第2館。内部は撮影できません。筆者撮影。

美術館は三つの建物に分かれています。写真はメインの第2館。内部は撮影できません。筆者撮影。

 なお、展示に日本語の説明はありませんでしたが、パンフレットには日本語版がありました。入場料は大人1万5000ウォンです。ホームページはこちらになります。

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◎あとがきに代えて:いくつかのお知らせ

 今号は以上です。ショートニュースは文字数の関係で省きました。来週からは単発記事を増やしていくので、そこでカバーいたします。

 いくつかのお知らせがあります。

(1)隔週配信!YouTube「徐台教の韓国通信」

 デモクラシータイムスという人気YouTubeチャンネルで、2週間に一度『徐台教の韓国通信』を配信しています。辛淑玉(シン・スゴ)さんの司会で韓国社会、政治、カルチャーや南北関係など多彩なテーマについて話しています。これまで5回配信されています。まだ未見の方はぜひご覧ください。最新の配信のリンクを貼っておきます。

(2)ニュースレターのYouTube配信を始めます

 サポートメンバーの皆さんに約束していた月一度のYouTube配信を、1月30日(火)の20時から行います。リンクは準備でき次第お送りいたします。ざっくばらんにお話しする機会にできればと思います。

(3)私が講師を務めるオンライン講座があります

 来たる1月27日(土)の16時から、東京大学韓国学研究センターの連続講座に講師として参加いたします。テーマは「尹政権の対日外交と歴史問題」。ウェビナー形式で参加費は無料ですが、1月25日までに事前登録が必要とのことです。登録は下記から(googleフォームのページに飛びます)お願いいたします。

 私はあまり得意なテーマではありませんが、もう一人の講師であるソウル大学の南基正(ナム・ギジョン)先生のお話しだけでも聞く価値があると思います。

(4)私がガイドで参加するツアーの募集です

 NPOアジア・コミュニティ・センター21(ACC21)が今年2月21日から25日まで、韓国ソウルで行うスタディツアーの募集を始めています。かなり盛りだくさんの内容で、私も2日目にDMZツアーのガイドとして現地参加します。ご興味のある方は下記HPをご覧下さい。締め切りは1月25日とのことです。

以上です。皆さん温かくお過ごしください。ありがとうございます!(徐台教)

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