【デイリー・コリア・フォーカス】26年5月18日号

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徐台教 2026.05.18
誰でも

 

 皆さま、アンニョンハセヨ。

 5月18日、月曜日です。本来ならば光州にいなければならないのですが、金浦から「デイリー・コリア・フォーカス」をお送りいたします。日中は別の仕事で忙しく遅くなってしまい、とても焦っています。

 今日の目次です。

 1. 光州5·18民主化運動から46年
 2. 今日の時事韓国語「5·18」

***

1. 光州5·18民主化運動から46年 

ご存知のように、今日は「5·18」です。そうです。1980年5月の光州民主化運動が始まった日です。

 5月18日から27日まで光州市(クァンジュ、当時は全羅南道所属)で続いた民主化運動は、政府の戒厳軍により鎮圧されました。200人あまり(今も正確な数は不明)の市民の犠牲者が出たこと、さらに戒厳軍の残虐さも加わり今なお「光州虐殺」とも呼ばれる出来事です。

 私は妻が海外出張に出かけ、母もやはり旅行に行っていることから、子どもの面倒を見なければならず、光州に行けませんでした。それでも韓国の国営放送KTVを通じて見た、光州の空は青く澄んでいました。

全南道庁前で行われた記念式の様子。KTVよりキャプチャ。クリックで該当映像(韓国語)に飛びます。ブラッドリー・マーティンさんも冒頭でたくさん取り上げられています。

全南道庁前で行われた記念式の様子。KTVよりキャプチャ。クリックで該当映像(韓国語)に飛びます。ブラッドリー・マーティンさんも冒頭でたくさん取り上げられています。

 記念式を中継したKTVの映像の冒頭では、46年前の光州を振り返る映像が流れました。中でも1980年5月当時、米「ボルティモア・サン」紙の記者として、光州から記事を書いたブラッドリー・マーティン記者へのインタビューは印象に残りました。

 今年83歳。今なお編集デスクとしてジャーナリズムに関わる彼は5年前のKTVの特集で、尹祥源(ユン・サンウォン)氏の最後のインタビューに触れ、「あのように強い意志と勇気を持った彼の姿に感動した」と述べていました。

 …ここで一つ提案があります。この尹祥源さんは、拙著『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』でも触れていますが、韓国の民主化運動を変えた人物の一人として、とても尊敬を集める人物です。

 今はもう22時30分を回っており、これから尹祥源さんについて長く説明するよりも、私が以前「イミダス」さんに寄稿した、光州民主化運動を知るための3本立て記事をお読みいただくことを、強くオススメします。

 これをお読みになった上で、ニュースレターの続きを読むと、さらに内容が分かりやすくなると思います。全文無料で読めますので、どうぞ。6年前の記事ですが、光州民主化運動のエッセンスを理解する上で今なお有効なテキストです。

 …おかえりなさい。いかがでしたか。それではニュースレターを続けます。

 先のKTVの映像の中でブラッドリー・マーティンさんは、46年前の光州での取材経験を「記者人生の中で最も重要な瞬間のうち一つで、その瞬間の経験は何にも変え難い」としながら、KTVの求めで韓国市民にこんなメッセージを送りました。

自身たちの政治的な利益のために、光州民主化運動を再解釈しようとする極端主義者(原文ママ)の言葉に耳を傾けないでください。
私は現場にいました。私はその現場の一部を目撃し、光州民主化運動の市民軍の報道官であり、実際の指導者であった尹祥源(ユン・サンウォン)烈士と対話することができました。
だから皆さんは、韓国人たちが深刻な政治的な問題を正そうと、民主主義の道に入るために行ったことを記念してください。5·18光州民主化運動は本当に重要な歴史的な瞬間であったし、全ての韓国人が共に記念すべきです。

 一応、尹祥源さんについて書きますと、彼は市民軍の実質的な指導者として、光州での運動を、韓国の長い民主化運動の一つとして位置づけ、そしてその運動のために命を投げ打ったのでした。

 もちろん、このような決断をくだしたのは、尹祥源さんだけではありません。韓江(ハン・ガン)『少年が来る』の主人公のモチーフとなった、16歳の高校生、文在学(ムン・ジェハク)さんも、尹祥源さんと同じ日に、全南道庁で戒厳軍により命を落としています。

 このことから、尹祥源さんが戒厳軍が突入する直前の80年5月26日の晩、全南道庁で外国人ジャーナリストに語った「いいですか。韓国の民主化に影響を与え、民主主義を引き寄せられるのならば、私は私の人生を進んで放棄するでしょう。自身の信念のため、命を喜んで放棄できる光州市民たちがここにいる」という言葉は、光州民主化運動の結実として受け止められているのです。

KTVの映像でも尹祥源さんについて盛んに取り上げていました。「きょう私たちは敗北するでしょう。しかし明日の歴史は、私たちを勝利者として記憶するでしょう。皆さんたちは生き延びて、歴史の証人になってください。明日からは皆さんがたたかってください」という、やはり生前の言葉が添えられていました。KTVよりキャプチャ。

KTVの映像でも尹祥源さんについて盛んに取り上げていました。「きょう私たちは敗北するでしょう。しかし明日の歴史は、私たちを勝利者として記憶するでしょう。皆さんたちは生き延びて、歴史の証人になってください。明日からは皆さんがたたかってください」という、やはり生前の言葉が添えられていました。KTVよりキャプチャ。

***

 それでは、先に引用した、ブラッドリー・マーティンさんの「光州民主化運動の再解釈」とは何を指すのでしょうか。これは「抵抗権の恣意的な理解」を指すものです。

 25年1月、ソウル西部裁判所が尹錫悦大統領への拘束令状を発付するや、尹錫悦を支持する極右派市民が、裁判所を襲撃する出来事がありました。史上はじめて起きた事件に、韓国社会は大きなショックを受けました。

 この際に、暴徒とそれを使嗾した人物たちは80年5月の光州で市民が武器を取ったことを例に抵抗権を掲げ、自らを正当化したのでした。

 つまり、銃と暴力を持って襲いかかる戒厳軍に抗う市民の抵抗・民主化運動と、憲政秩序を破壊した人物(尹錫悦)を擁護するための暴力を、同列に並べたのです。

 いわば抵抗権の濫用ですが、民主主義を否定する極右派によって、民主主義の歴史がけがされている実態を指摘するものでしょう。心に刻むべき言葉です。

***

 そしてこの日の記念式では、李在明大統領による記念辞がありました。これは全文を翻訳してあります。下記リンクもしくは、本ニュースレターの最後尾をご参考ください。

 いくつか重要な部分を抜き出し、解説してみます。

 このように再び生まれ変わった五月の英霊たちが、2024年12月3日の夜、今日の生きている者たちを救いました。生きている者が死んだ者の呼びかけに応え、先に去った者たちが、絶望の前に立った現在を立ち上がらせました。

 奮然と身を震わせ立ち上がり、戒厳軍に立ち向かった80年の五月の光州市民たちのように、2024年、偉大な大韓国民たちも武装した戒厳軍たちを素手で阻止しました。

 1980年5月、不義の権力が撤退したその刹那の空間で、光州が全力を尽くして花開かせた「大同世界(大同の世。※1)」は、2024年12月、あの厳しい冬の夜に、互いの体温で民主主義を守る「光の革命(※2)」として復活しました。

(※1 大同世界:皆が平等に暮らす理想郷のこと)

(※2 光の革命:尹錫悦前大統領の非常戒厳を防ぎ、同氏の弾劾・罷免を支えた市民運動のこと。ペンライトの光を象徴とすることからこう名付けられた) 

 忘れもしない2024年12月3日の、尹錫悦大統領(当時)による非常戒厳。この時私は国会前に集まった市民にインタビューした内容を、翌朝すぐに記事にまとめ配信しました。

 「命を投げ打つ覚悟で来た」という市民の言葉を聞いた瞬間、先に引用した2020年の記事にあるような、光州の精神をようやく理解できた気がしました。もし先に光州の記事をきちんと書いていなかったら、あの瞬間を深く理解することはできなかったでしょう。

***

 これまで記事にしたことはありませんが、80年5月当時、光州で銃を取った人物が、非情戒厳後に行ったインタビューの中で語った言葉も衝撃でした。

 「戒厳が長引いたらどうするつもりだったか」と聞く私に、平然とした表情のまま「その時は戦車の下敷きになるつもりだ」と言ってのけたのでした。

 この人物は80年5月当時、市民軍として運動に参加し、同僚を亡くしていました。

 その決然とした様子に心を打たれながらも、まるで死に場所を求めるかのような姿からは、国家の圧倒的な暴力が、いかに人間の心に衝撃を与えるのかを目の当たりにしました。

***

 次です。

 尊敬する国民の皆さん、(2024年)12月3日の内乱は、いまだ終わっていない五月からの問いでした。自ずとやってくる民主主義も、自ずと守られる民主主義もありません。

民主主義を完成させる力はただ、主権者の切実な願望と実践から生まれるということを、私たちは今いちど現場で骨身に沁みて確認しました。

 今日の大韓民国を救った1980年の光州が、これからも大韓民国の未来を絶えず救い続けられるよう、国民主権政府(李在明政府)は5·18を絶えず記録し、記憶し、報償し、礼遇いたします。

「自ずとやってくる民主主義も、自ずと守られる民主主義もありません」というのは、この日の演説の白眉でしょう。

かつて金大中(キム・デジュン)大統領は「行動しない良心は結局、悪の側である」という言葉を残しました。それを彷彿とさせる一文でした。

 さらにこの部分からは、24年12月の非常戒厳により、韓国の民主主義が更新された事実が想起されます。45年ぶりの非常戒厳が市民の警戒心を喚起し、何を守るべきかが、より明確になったということです。

***

 次は演説の中で掲げられた三つの約束です。

 一つ目は「5·18精神が必ず憲法前文に収録されるように最善を尽くす」という点です。

 これは先日お伝えしたように、民主化直後の1987年10月の改憲以来、39年ぶりとなる改憲の内容に含まれていたものです。最大野党・国民の力の反対により改憲案は採決すらされませんでしたが、これに再び挑戦する意志を示したものと受け止められます。

 6月3日の総選挙で同党が大敗するようなことがあると(どうもそうはならなそうですが)、再び改憲論に火が点くでしょう。

 二つ目は「全南道庁を世界市民が共に学び、記憶するK-民主主義の生きた聖地として作りあげる」という部分です。

 「全南道庁」というのは、1980年5月27日、市民軍が最後に立てこもった建物です。韓国の戒厳軍が武力鎮圧した際の傷跡が建物のあちこちに今も残っています。約2年にわたるリニューアルを経て、この度再公開されました。

昨年5月18日に筆者が撮影した、旧全南道庁。工事中でした。

昨年5月18日に筆者が撮影した、旧全南道庁。工事中でした。

こちらは1980年5月当時のもの。青枠が道庁本館。文化体育観光部提供。

こちらは1980年5月当時のもの。青枠が道庁本館。文化体育観光部提供。

 K-民主主義というのが何を指すのかは、正直よく分かりません。

 概念的には、民主主義が世界的に退潮する中、踏みとどまる存在として韓国民主主義を位置づけるものです。

 2016年から17年にかけて、朴槿惠政権を退陣に追い込んだ「ろうそく集会」と、24年12月から25年4月までの尹錫悦弾劾運動など(光の革命とも)がその例です。韓国の民主主義は実質的には機能不全と称する学者もいますが、それでも独裁や権威主義に対する抵抗力は世界屈指でしょう。この経験を共有していくことは大切です。

 三つ目は「5·18 民主有功者職権登録制度」です。

 これは李在明政府が強調する「尋ねていく行政」を、今なお国家による報償の枠組みから漏れている民主化運動の参加者に当てはめていくことを指します。これをしてこそ、次にまた、民主主義のために立ち上がる人々が生まれるという概念が底にあります。

***

 最後です。

国民主権政府は5·18の精神を忠実に受け継ぎ、光州があれほどまで切実に夢見ていた「国民が主人である国」へ向かって、大胆に進んでいきます。それがまさに「生者」の責任を果たし、五月の英霊たちの崇高な犠牲を無駄にしない道だと信じています。

五月の光州が残した自由と平等、統合の力で今の危機を耐え抜き、より栄光ある、より輝く未来を引き渡せるよう全力を尽くします。

 民主主義を発展させていくということです。これに異論はありませんが、私はこの部分を読みながら、どうしても軍事境界線の北側・朝鮮民主主義人民共和国のことを想起せずにいられませんでした。

 今回の記念辞の演説の内容は格調あるものでしたが、崇高な概念、民主主義の歴史と力が南北の境界でぴたりと止まってしまう現実をどう解釈すればよいのでしょうか。

 体制の差という、南北朝鮮が抱える一番の問題が、私の中では改めて浮き彫りになりました。

 以前、80年5月に光州でたたかった、とある著名な人権運動家の方が、「北韓の民主化についてどう思うか」という私の質問に、「南北は民主主義で出会うべき」と答えたことを思い出しました。

 しかし南北政府は互いに内政不干渉の原則を持つため、ここでストップとなってしまいます。

 駆け足になってしまいましたが、いったんここまでです。演説としては良いものでした。

***

 2. 今日の時事韓国語「5·18」

 「オー・イルパル」と読みます。数字の「518」ですが、韓国では光州民主化運動を指す固有名詞となっています。

***

 今日はここまでです。0時になってしまうところでした。

 なお、全面ストライキを21日に控えたサムスン電子の労使交渉は、政府が仲介に入り、「最後の対話」が今日から行われています。決裂時には政府が「緊急調整権」を発動するとも言われますが、交渉の行く末に注目が集まっています。

 さらに17日、朝鮮民主主義人民共和国の「ネゴヒャン女子蹴球団」が訪韓しました。取材陣と目も合わせない姿に心を痛めた人が少なくないようです。試合は20日にあります。

 そして明日19日は午後から、韓国の慶尚北道、安東(アンドン)市で日韓首脳会談が行われます。私は19時過ぎから、TBSラジオ「荻上チキ・Session」に出演するので、よろしくお願いします。

 それではまた明日。

 アンニョンヒケセヨ。(徐台教)

***

[全訳] 第46周年 5·18民主化運動 記念式 記念辞(26年5月18日、李在明大統領)

尊敬する国民の皆さん、光州市民と全南道民の皆さん、
そして、貴重な場を共にしている
5·18民主化運動の有功者と遺族の皆さん、

国家暴力による深い傷跡を乗り越え、相生(共生)と統合の精神で育まれた
46回目を迎える5月です。

46年前、新軍部勢力は独裁の軍靴で
民主化の春を無惨に踏みにじり、
国民を守るためにと私たち国民が与えた銃剣をもって
主権者である国民を無慈悲に虐殺しました。

残酷な蛮行を隠すために
真実を封じ込めた無道な独裁政権のせいで、
多くの犠牲者は目を閉じることができず、
遺家族や被害者は痛恨の年月を耐えなければなりませんでした。

しかし、その漆黒のような闇の中でも
ついに光を求め頭をもたげる春の花のように、
より良い世界を望む光州の熱望は決して折れませんでした。

隠そうとするほど真実はより鮮明になり、
見せまいとするほど五月の精神はより広く、より遠くへと広がっていきました。

そしてついに五月は真実と正義の側に立ちたいという
多くの良心となって蘇りました。

このように再び生まれ変わった五月の英霊たちが
2024年12月3日の夜、今日の生きている者たちを救いました。

生きている者が死んだ者の呼びかけに応え
先に去った者たちが、絶望の前に立った現在を立ち上がらせました。

奮然と身を震わせ立ち上がり、戒厳軍に立ち向かった80年の五月の光州市民たちのように、
2024年、偉大な大韓国民たちも武装した戒厳軍たちを素手で阻止しました。

1980年5月、不義の権力が撤退したその刹那の空間で
光州が全力を尽くして花開かせた「大同世界(大同の世。※1)」は
2024年12月、あの厳しい冬の夜に、互いの体温で民主主義を守る
「光の革命(※2)」として復活しました。

(※1 大同世界:皆が平等に暮らす理想郷のこと)
(※2 光の革命:尹錫悦前大統領の非常戒厳を防ぎ、同氏の弾劾・罷免を支えた市民運動のこと。ペンライトの光を象徴とすることからこう名付けられた)

この場を借りて、民主主義のために迷わず自らを投げ出した
五月の民主英霊たちの高貴な魂の前に頭を垂れ
無限の敬意と深い哀悼の意を表します。

乾かない涙で時代の灯を照らし続けてこられた
有功者と遺家族の皆さんにも
心からの敬意と慰労の言葉をお伝えします。

残酷な暴力の前でも最後まで人間の尊厳を守り抜いた
5·18精神の堅固な土台の上で、
私たち大韓民国は、民主主義と繁栄の道を歩んで来られたのです。

皆さんがいてくださったからこそ、
曲がりくねった現代史の分かれ道を前に
私たちの民主主義が崩れず、再び立ち上がることができました。

その崇高な精神と犠牲、献身を決して忘れません。

尊敬する国民の皆さん、
(2024年)12月3日の内乱は、いまだ終わっていない五月からの問いでした。

自ずとやってくる民主主義も、
自ずと守られる民主主義もありません。

民主主義を完成させる力はただ
主権者の切実な願望と実践から生まれるということを
私たちは今いちど現場で骨身に沁みて確認しました。

今日の大韓民国を救った1980年の光州が
これからも大韓民国の未来を絶えず救い続けられるよう、
国民主権政府(李在明政府)は5·18を絶えず記録し、記憶し、報償し、礼遇いたします。

五月の英霊と国民の皆さんの前に、
このための三つの決意と約束の言葉を申し上げます。

一つ目に、5·18精神が必ず憲法前文に収録されるように
最善を尽くします。

4·19革命(※3)と釜馬抗争(※4)、そして5·18民主化運動は
6月抗争(※5)を経て、ろうそく革命(※6)と光の革命へとつながりました。

(※3 4·19革命:19604月に独裁者・李承晩大統領を下野させた市民運動。419日には全国で数十万人がデモを行った)
(※4 釜馬抗争:197910月に釜山プサンと馬山マサンでおきた民主化を求めるデモ。同年1026日の朴正煕大統領暗殺のきっかけとなったとされる)
(※5 6月抗争:19876月に全国で起きた大規模な民主化デモ。610日には全国で100万人以上が集まった。全斗煥政権から同年629日の民主化宣言(6·29宣言)を引き出した)
(※6 ろうそく革命:201610月から173月にかけ、朴槿惠政権の退陣を求め行われた大規模集会。1612月には全国で200万人以上が参加した。キャンドル革命とも)

国民主権を証明した原動力であり、
大韓民国の現代史の誇りである5月の精神が
私たちの社会によりしっかりと根付くように、
5·18民主化運動の民主理念を
大韓民国の憲法の上に堂々と刻むべきです。

政治的な利害を超越した、
すべての政界が国民と継続して行ってきた約束であっただけに、
与野党の超党的な協力と決断を切に要請いたします。

光州市民と全南道民を超えて、大韓民国の皆さんの
変わらぬ支援と声援をお願いいたします。

二つ目に、今日正式に開館するここ全南道庁(※7)を
世界市民が共に学び、記憶する
K-民主主義の生きた聖地として作りあげます。

(※7 全南道庁:1980527日、市民軍が最後に立てこもった建物。韓国の戒厳軍が武力鎮圧した際の傷跡が建物のあちこちに今も残っている。約2年にわたるリニューアルを経て再公開された)

全南道庁は不法な国家暴力に立ち向かった、最後の市民の抗争の場でした。
壁面の至る所に刻まれた銃弾の痕が
あの日の残酷さと市民軍の大胆な勇気を、黙々とこのように証言しているではありませんか。

ユネスコ世界記録遺産への登録、
韓江(ハン・ガン)作家の小説『少年が来る』を通じて
五月の光州は、今や世界市民が共に記憶する
人類普遍の価値と生まれ変わっています。

全南道庁に余すことなく刻まれた、犠牲と連帯の精神が
大韓民国の共和政の自負心であり、未来世代の価値として継承されるように
政府が積極的に支えていきます。

三つ目は、ただ一人の犠牲も見逃さないよう
「5·18 民主有功者職権登録制度」を整備します。

ここに来る前に立ち寄った「国立5·18民主墓地」には
戒厳軍の銃弾に斃れた故ヤン・チャングン烈士が眠っておられました。

踏みにじられた祖国の正義に誰よりも心を痛めたあの五月の少年は、
登録申請を代わりに行う直系家族がいないという理由から
今なお5·18民主有功者として完全には認められていません。

これからは政府が、国家暴力の犠牲者一人一人の家族となるでしょう。

不屈の闘志で民主主義と祖国を守り抜いた方々が
ただの一人も寂しく取り残されないように、
国家が最後まで責任を果たします。

尊敬する国民の皆さん、
成長潜在力の低下、不平等の深化、国際秩序の激変、地方の消滅など
多方面に重なり合った複合危機が
私たち大韓韓国の現在と未来を、同時に脅かしています。

国民と共に激しい波のさ中を通り過ぎていますが、
私は光州がその間歩んできた道から、私たち大韓民国の未来と希望を見ています。

銃や剣を押し出す独裁権力の残忍な暴圧の中でも
80年五月の光州は、共に生きる喜びを分かち合い、
錦南路(※8)には愛と連帯の波が揺れ動いてはいませんでしたか。

(※8 錦南路:光州市内から全南道庁に続くメインストリート。80年当時、市民と軍警が対峙した。今は5月17日に前夜祭が行われ、当時の記録も多く残る通りとなっている)

寂しさのただ中でも互いの傷を優しくさすり合い
絶望のただ中でも互いを支え合い、
最後の温もりを集め、希望の種を芽吹かせました。

市民が作り出した共存と配慮、平和の広場で
光州は真の民主共和国の姿を見せてくれました。

その輝かしい5·18精神が歴史の曲がり角ごとに
私たちの大韓民国を新たな変化と希望の道へと導き、
今、光州と全南(全羅南道)の統合という新たな挑戦へとつながっています。

光州と全南が握り合った手が
相生と共存の新たな指標としてそびえ立ち、
均衡発展という希望の歴史を再び書き綴っていくものと信じています。

だからこそ、五月の記憶と5·18の精神は決して、過去の遺産ではないのです。

不義に断固として立ち向かう勇気であり、
危機を共に乗り越える連帯であり、
より良い明日へと向かう希望の名前です。

国民主権政府は5·18の精神を忠実に受け継ぎ、
光州があれほどまで切実に夢見ていた
「国民が主人である国」へ向かって、大胆に進んでいきます。

それがまさに「生者」の責任を果たし、
五月の英霊たちの崇高な犠牲を無駄にしない道だと信じています。

五月の光州が残した自由と平等、統合の力で
今の危機を耐え抜き
より栄光ある、より輝く未来を引き渡せるよう
全力を尽くします。

ありがとうございます。

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