【デイリー・コリア・フォーカス】26年10月5日号[番外編]:日本出張報告とコラム紹介
皆さま、アンニョンハセヨ。今日は10月5日、月曜日です。今日も私・徐台教が担当いたします。
ただいまの時間は午後11時過ぎ。すっかり遅い時間となってしまいました。
先週木曜日から日本に出張し、昨日日曜日の夜遅く韓国に戻ってきました。3泊4日にたくさんのスケジュールを詰め込み、さらにたくさんの人と交流(飲み会を含む)したことで、体力がゼロとなり、今日はダウンしておりました。
実は韓国は今日、開天節(10月3日)の振替休日でした。ゆっくり起き上がりいくつかの溜まった用事を済まし、今に至ります。
今日のニュースレターは短く出張の報告を行い、月曜日の「朝鮮半島問題」は水曜日に回します。水曜日にはYoutubeライブがありますが、その前にお送りします。
なお、韓国の国防部は今日(5日)、先月21日に軍事境界線の南側で韓国軍兵士が被害を受けた地雷事故に関する最終調査結果を発表するなど、朝鮮半島情勢は動き続けています。
なお、結果は12か月より以前に、朝鮮側が該当地点に4個の地雷を埋設したというものでした。国防部は朝鮮側に対し、負傷者への謝罪と、軍事境界線の南側に埋設した地雷を撤去することを求めました。
それでは出張の振り返りです。
10月2日(金)には、静岡県にあるエコパスタジアムで行われた、アジア大会女子サッカー決勝戦と3位決定戦を観戦しました。韓国と中国による3位決定戦はやや凡戦でしたが(結果は韓国の勝利)、朝鮮と日本による決勝戦は大いに盛り上がりました。
結果は2−2のまま延長戦の末、PK戦にまでもつれこみ、日本の勝利でした。朝鮮の選手たちはがっくりと肩を落としていましたが、名勝負に観客は酔いしれていました。
この日、朝鮮側の応援団は2000人以上。私は数人の韓国応援団に混ざり、朝鮮応援団のすぐ隣に座り、決勝戦では朝鮮を応援しました。韓国応援団の中には、朝鮮学校の生徒や総連関係の集団に飛び込んで交流する方もいました。その結果は、中日新聞で記事になりました。

この日の夜は、偶然出会った朝鮮応援団の方々と朝4時まで飲んでいました。総連側の人たちが金正恩氏による「敵対的な二国家関係」をどう考えているのかの一端を知ることのできた、貴重な時間でした。
なお、この日の観戦記(?)はコラムにまとめ、今日Yahoo!ニュースに配信しました。1200字ほどの短い記事なので、ぜひお読みください。
明くる10月3日(土)は、大阪に移動し、フォーラムの司会進行を務めました。

慣れない司会進行でした。

写真はいずれも参加者も方々のものを拝借しました。
この日の参加者は100人あまり。駐大阪韓国総領事をはじめとする外交関係者、韓国の政府組織・民主平和統一諮問委員会の方々、民団関係者、さらに朝鮮学校の校長先生も参加するなど、「公論の場」の機能を一定程度果たす場となりました。
準備はほぼ99%、大阪を基盤とする「コリアNGOセンター」の方々にお任せとなってしまったのですが、本誌コリア・フォーカスも共催に名を連ねていました。今後も定期的にこのような催しを続けていきます。
なお、フォーラムの内容は別途、記事にいたします。
終了後には懇親会がありました。ここでも話に花が咲き、宿にたどりついたのは午前1時頃だったでしょうか。疲れのあまり靴を履いたまま寝ました。
そして出張最終日の4日(日)には、立命館大学の文京洙(ムン・ギョンス)名誉教授との対談がありました。たくさんの著書で知られる、在日2世の代表的な知識人です。

文京洙先生と私。
対談は拙著『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』の発刊から一年を記念するものとして行われました。
文京洙先生は前日のフォーラムにもご登壇いただいていたのですが、時間が足らずできなかった話もでき、とても有意義で学びの多い時間でした。朝鮮半島問題と在日コリアンについて、かなり踏み込んだ内容となっています。こちらも後日、記事になります。
個人的には、文京洙先生が1950年生まれである点が重要でした。4年前に亡くなった父と同い年だからです。晩年の父は持病に苦しみ、対話が交わせなかったのですが、そうした空白を埋めるような、ぜいたくなひとときでした。
駆け足になりましたが、今日はここまでとさせていただきます。
今週もよろしくお願いいたします。しつこいようですが、今日出したこのコラムは、必ずお読みください。
それではアンニョンヒケセヨ。ありがとうございます。(徐台教)
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