[62号] 韓国の進歩派が「南北二国家」議論をスタート、任鍾晳「統一はもうやめよう」発言の読み方

今号では19日、20日と韓国であった南北関係に関する大きな会合の取材結果をお伝えします。進歩派の転換点になり得る話が行き交いました。
徐台教(ソ・テギョ) 2024.09.25
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 サポートメンバーの皆さん、アンニョンハセヨ。韓国の徐台教です。ずいぶんと間が空いてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。各地で大雨があり、特に能登半島はとても大変な状況が続いているようですね。皆さんの安全を遠くから願っております。

 ニュースレター今号は去る9月19日、20日に韓国で行われた南北関係に関するイベントの様子をお伝えいたします。

 なお、ドキュメンタリー番組の整理については次号となります。KBS(日本のNHKにあたる)が8月に放映した『沖縄アリラン』という番組を取り上げます。歴史に詳しい方はご存知のお話かもしれませんが、改めて観ると胸に迫るものがありました。

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光州市内の金大中コンベンションセンターに掲げられたイベントの垂れ幕。『平和、進むべきその日』と書かれています。以下、写真はすべて筆者。

光州市内の金大中コンベンションセンターに掲げられたイベントの垂れ幕。『平和、進むべきその日』と書かれています。以下、写真はすべて筆者。

◎金正恩氏への「対抗策」

 『平和、進むべきその日』と銘打たれた今回のイベントは、進歩派が今後どう南北関係を扱っていくのかを初めて公開の場で議論する場でした。

 昨年末に金正恩氏が「北南関係はこれ以上は同族関係・同質関係ではない、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国関係として完全に固着した」と述べてから約9か月。ようやく重い腰を上げたものです。

 もちろん、学会や小さなシンポジウムは幾度となく開かれてきました。しかし進歩派としての姿勢は定まらないものでした。保守派の尹錫悦政権が8月15日の『光復節』で「統一ドクトリン」を発表し、金正恩体制の転覆と吸収統一という攻撃的な姿勢を明らかにしたのとは対照的でした。

 もっとも、陣営として統一した統一論(ややこしいですが)が存在する訳ではありません。

 保守派は「北朝鮮打倒」という単純なものですが、進歩派はよりスペクトラムが多彩であるため、これまでは大枠で「対話と和解協力」という方法論を採択してきた程度です。

 しかし金正恩氏の発言は、既存の南北関係を根底から覆す可能性があるものです。進歩派として一度しっかりと整理することが必要だと私はずっと思ってきましたが、ようやくそんな時期を迎えることとなりました。

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 結論から言うと、今回のイベントは十分に進歩派の今後を占うに値するものでした。その理由は過去、三度存在した進歩派政権下で実際に南北関係を動かしてきた進歩派の人物がそろい踏みした点にあります。

 初の進歩派政権となった、故金大中(キム・デジュン、在任98~03年)大統領の右腕で同政権の南北関係を総括した林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長、続く盧武鉉(ノ・ムヒョン、在任03~08年)政権で同様の役割を果たした李鍾奭(イ・ジョンソク)元統一部長官、両政権にまたがり統一部長官の重役を務めた丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官といった錚々たる人物に加え、文在寅(ムン・ジェイン、在任17年~22年)前大統領も二日間にわたり参加しました。

 さらに、文政権下で国家情報院長を務めた徐薫(ソ・フン)氏、朴智元(パク・チウォン)議員の両氏や、先に文政権の外交安保分野の回顧録を文大統領と共に執筆した崔鍾建(チェ・ジョンゴン)元外交部第一次官といった次官クラスの人士も多く出席しました。

中央は文在寅前大統領と金正淑(キム・ジョンスク)女史。左から二番目は金富謙(キム・ブギョム)元総理、右端は金東兗(キム・ドンヨン)京畿道知事、その隣は曺国(チョ・グク)議員、禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長。

中央は文在寅前大統領と金正淑(キム・ジョンスク)女史。左から二番目は金富謙(キム・ブギョム)元総理、右端は金東兗(キム・ドンヨン)京畿道知事、その隣は曺国(チョ・グク)議員、禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長。

元老たちが勢揃いした。前列左端は和田春樹東大名誉教授、二番目は林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長だ。

元老たちが勢揃いした。前列左端は和田春樹東大名誉教授、二番目は林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長だ。

 こうしたメンツはまさに「南北関係に関する進歩派人士の勢揃い」とも呼ぶべきもので、今後の進歩派の北朝鮮政策に大きな影響を及ぼすことは間違いありません。

 このように今回の一連のシンポジウムは金正恩氏の「敵対的二国家論」への進歩派の対応を理解し、27年3月の次期大統領選挙で進歩派候補が勝利する場合の北朝鮮政策の方向を読むことにつながる、とても重要なイベントでした。

 内容をひと言で整理すると、進歩派は「既存の平和の談論(大まかな議論の枠組み)と統一の談論も全面的な再検討が必要」(文在寅)という姿勢を明らかにしたと言えます。

 それでは詳しく見ていきます。

(なお、昨年末の金正恩氏の路線転換に関しては、こちらの記事をご参照ください)

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◎「韓半島平和プロセス」は座礁したのか?

 初日(19日)は光州(クァンジュ)で行われました。

 光州は1980年の『5.18民主化運動』の歴史から「民主化の聖地」であると共に、大統領選では進歩派候補に有権者の9割が投票する「進歩派の牙城」でもあります。

 その象徴たる金大中(キム・デジュン)元大統領の名を冠したコンベンションセンターで午後にシンポジウムが、晩にレセプションがありました。

 シンポジウムでは現状の分析と共に、金正恩氏がぶち上げた「敵対的二国家論」への対応が議論されました。

 現状分析という点では、特筆すべき点はありませんでした。何度も本ニュースレターで書いてきた通り、南北間の緊張がいつになく高まっているという指摘が相次ぎました。

19日午後に行われたシンポジウムの様子。

19日午後に行われたシンポジウムの様子。

 一方で、文在寅政権時代に進めた『韓半島平和プロセス(朝鮮半島に平和をもたらす一連の政策。朝鮮戦争の停戦協定を平和協定へと転換することや米朝国交正常化、朝鮮半島の非核化などを含む)』についての見解は分かれました。

 崔鍾建元外交部第一次官は同プロセスについて「一旦止まっている」と表現する一方、韓国最大のアドボカシー(政策提案)NGO『参与連帯』で事務処長を務めるなど平和運動の最前線に今も立ち続けているベテラン活動家の李泰鎬(イ・テホ)さんは「座礁した」と述べ、視点がくっきりと別れました。

 李泰鎬さんはさらに「座礁と認めてこそ何が原因なのかを知ることができる。情緒的な問題ではない」とクレバーな指摘をしました。

 これに対し崔鍾建さんは「あまりにも韓国だけの立場で考えてしまうことが問題だ」と述べ、「当時(18年~19年初頭)、北韓は米朝関係を南北関係よりも優先していた。それが金正恩氏の選択だった」としました。

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