南北関係は35年ぶりの「転換期」で武力衝突も…年末年始、金正恩・尹錫悦の言葉で読む今後の朝鮮半島

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徐台教(ソ・テギョ) 2024.01.05
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◎金正恩「北南は二つの敵対国家」

 新年を迎え、朝鮮半島にある二つの国、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の関係が完全に転換期に入ったことが明らかになった。

 発端は先月31日に北朝鮮メディアによって発表された金正恩氏の発言だった。これは北朝鮮で12月26日から30日まで行われた朝鮮労働党中央委員会第8次第9回全員会議拡大会議(日本メディアでは中央委員会総会とも)の「結論」の一部だ。

 従来の「新年辞」に代わるもので、北朝鮮では「全員会議→結論発表」を新年辞の代わりとする動きをここ4年続けている。

  内容は長大だが、本論考では南北関係についての部分だけ見ていくことにする。南北関係75年史に残る一文となる可能性があるため、該当部分をすべて引用する。

総秘書同志(金正恩)は、わが制度と政権を崩壊させるという傀儡たちの凶悪な野望は『民主』を標榜しようが、『保守』の仮面をかぶろうが少しも変わらないとし、次のように述べられた。
長久な北南関係を振り返りながら、わが党(朝鮮労働党)が下した総的な結論は、ひとつの民族、ひとつの国家、二つの制度に基づく私たちの祖国統一路線と克明に相反する『吸収統一』、『体制統一』を国策として定めた大韓民国の者どもとは、いつになっても統一が成し遂げられないということです。

今この時刻にも南朝鮮の者どもは、わが共和国と人民たちを、修復すべき大韓民国の領土であり国民であると迷い無く公言しており、実際に大韓民国の憲法というものには『大韓民国の領土は朝鮮半島とその付属島嶼とする』とはっきりと明記されています。

現実は私たちに対し、北南関係と統一政策に対する立場を新たに定立すべき切迫した要求を提起しています。今こそ現実を認め、南朝鮮の者どもとの関係をより明白にする必要があります。

私たちを『主敵」と宣布し外勢と野合し『政権崩壊』と『吸収統一』の機会だけをうかがう連中を和解と統一の相手とするのは、これ以上私たちが犯してはならない過ちと考えます。

私たちが同族という修辞的な表現のために米国の植民地の子分に過ぎない怪異な連中と統一問題を論じるというのが、私たちの国の格と地位に見合いません。

いま、南朝鮮というのは政治が完全に失踪し、社会全般がヤンキー文化で混濁しており、国防と安保は米国に全的に依存する半身不随の奇形体(原文ママ)、植民地属国に過ぎません。

北南関係はこれ以上は同族関係・同質関係ではない、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国関係として完全に固着しました。

これが今日の北と南の関係を表す現住所と言えます。
拡大会議の結論をまとめた文献集の表紙。まだ内容は公開されていない。朝鮮中央通信より引用。

拡大会議の結論をまとめた文献集の表紙。まだ内容は公開されていない。朝鮮中央通信より引用。

◎「特殊関係」、「韓国優位」の終わり

 私はこの31日にこの内容を初めて見た際、「来るべきものがついに来た」と感じた。とはいえ、日本の読者の方には何のことだか全く分からないと思われる(これはおそらく大多数の韓国市民にとっても同様だ)。

 金正恩氏による上記の発言は、2011年12月に父・金正日の死により権力を受け継いで以降の12年の中で、最も重要なものの一つになる。 

 それは祖父・金日成が生きていた冷戦終結前後の80年代末~90年代初頭から約35年にわたって維持されてきた「南北の特殊関係」、そして「韓国優位の南北関係」の清算を意味すると同時に、南北関係が今後、転換期に入ったことを示すものだからだ。

 この発言がもたらす影響は短期的な視点と長期的な視点に分けて考える必要がある。

 しかしそれを一つの記事として書き切るのは記事の分量的に無理があるため(本でまさにこの部分の内容を扱う)、今回の記事では金正恩氏と尹錫悦氏の発言を中心に、いくつかのポイントだけを押さえてみたい。

 まず、金正恩氏の発言の内容の中にある、三つの重要な問題提起を検証してみたい。設問は以下のようになる。

(1)韓国の統一路線は本当に「吸収統一」、「体制統一」を国策としているのか?(2)北朝鮮と韓国の統一路線に合意があったのか(同じ方向を向いていたのか)?(3)上記を踏まえた上で、金正恩氏は何を拒否しているのか?

1958年、ベトナムを訪問しホー・チ・ミン主席と乾杯する金日成。ホー・チ・ミン博物館(京郷新聞)より引用。

1958年、ベトナムを訪問しホー・チ・ミン主席と乾杯する金日成。ホー・チ・ミン博物館(京郷新聞)より引用。

◎論点(1):韓国の統一路線は本当に「吸収統一」、「体制統一」を国策としているのか?

 答えは「YES」であるが、時代によっては一部に「NO」が含まれていた。

 韓国政府は89年に『韓民族共同体統一方案』を、94年にこれを整備した『民族共同体統一方案』を公式な統一法案として定めて以降、保守政権、進歩政権にかかわらず過去30年にわたって受け継いできた。

 その内容は三段階に分けて統一を成し遂げるというものと整理できる。一段階目から順に「和解協力→南北連合→統一国家」となる。

 具体的に見ていこう。

 まず「和解協力」は南北が敵対関係を弱めていきながら平和に共存する過程を指す。相互の信頼を高めるために南北交流や経済協力などがメインとなる。

 次に「南北連合」は南北が二つの体制を維持しながら、法的・制度的な合議体を作る過程を指す。南北首脳会談の定例化や南北の国会を併せた評議会の運営などがこれにあたる。対外的には合議体が声を発する場合もあるとされ、この場合は一民族一国家二体制に近い形となる。

 最後の「統一国家」では、上記の南北連合を土台に、二つの体制を完全に統合していく。南北市民が参加する選挙や新憲法の制定などを経て統一を完成させるものだ。

***

 このように最終的に「体制統一」を目指すことは確定であるが、「吸収統一」か否かについてはどう考えるべきか。

 韓国の憲法第4条には「大韓民国は統一を指向し、自由民主的基本秩序に立脚した平和的な統一政策を樹立しこれを推進する」とある。

 このため『民族共同体統一方案』での体制は自動的に現在の韓国のような民主主義体制を指すものとなり、現在の北朝鮮の世襲独裁体制・全体主義体制(形式だけの民主主義)とは異なる。

 金正恩氏にとっては「吸収統一」と見ることができる所以だ。

***

 もう少し踏み込んでみよう。

 金正恩氏は「わが制度と政権を崩壊させるという傀儡たちの凶悪な野望は『民主』を標榜しようが、『保守』の仮面をかぶろうが少しも変わらない」と述べているがこれはどういうことだろうか。

 答えは前述した『民族共同体統一方案』の前身の『韓民族共同体統一方案』ができた89年9月という時期にある。

 当時、東西冷戦は西側勝利が確実となる中、87年の民主化以降の直接選挙で選ばれた盧泰愚(ノ・テウ、任期88年2月~93年2月)政権は「北方政策」と呼ばれる共産圏への外交を幅広く展開していた。

 これは当時既に北朝鮮の10倍の国力を持っていた韓国(75年に南北の経済力は逆転)が、ソ連という後ろ盾を失った北朝鮮を孤立させ、包囲しようとするものだった。

 盧大統領や当時の高官の回顧録を読むと、その真意は北朝鮮を開放させ、遠くない未来(90年代)に体制変化が起きるようにするところにあったことが分かる。

 『韓民族共同体統一方案』には当時の与野党が満場一致で賛成した。韓国は当時、経済発展と民主化の「二兎」を手に入れたと国際的に評価されていたが、政治家もまた自信を持って朝鮮半島問題に向き合っていた。

盧泰愚(ノ・テウ)大統領。南北関係に大きな足跡を残した。大統領記録館提供。

盧泰愚(ノ・テウ)大統領。南北関係に大きな足跡を残した。大統領記録館提供。

***

 韓国の勢いはさらに、91年12月の『南北軍事合意書』となって結実する。互いの体制を認め尊重するとしつつも、南北間の軍事的緊張緩和と広範囲の人的・物的交流を行うというものだった。当時、東欧のような人民革命におびえていた金日成主席は、体制保障につながる提案を受け入れる他になかった。

 この時に南北関係は韓国側のアイディアにより「統一を指向する過程で形成された民族内部の特殊関係」と規定された。同年7月に南北国連同時加盟があったが、この際に「国の分裂が永久に固着化する」と反対した北朝鮮を説得したのと同じ論理だった。

 「特殊関係」を端的に表現すると、南北は互いの主権と領土を認めず、また国とも認めない、ただの特殊関係であるだけというものだ。

 これは同じ分断国家だった東西ドイツが1972年の『ドイツ基本条約』で互いの主権と領土を認め国家と見なし、その国同士が特殊関係であるとしたものとは大きく異なるものだ。

 互いの主権と領土を認めるほどに南北の社会は成熟していなかったし、そこまでたどり着くのためには、停戦中の朝鮮戦争の扱いなど超えるべき山がいくつもあった。

 いずれにせよ、この時に形成された南北関係が今まで続いていると理解すればよい。

***

 最後に、時代によっては「NO」が含まれているという部分について説明したい。

 北朝鮮の「開放」は一貫して南北関係の主要キーワードであり続けていた。

 北朝鮮が門戸を開く場合(韓国が門戸を開かせる場合)、経済発展が進むと共に、閉鎖環境の中で全体主義を進める北朝鮮政府の統治が弱まり、結果として自由が増進され体制の変化につながるという目論見が存在した。

 これは後述するように史上初の南北首脳会談を行った金大中(キム・デジュン、任期98年2月~03年2月)政権下で「太陽政策(包容政策)」として実行されるが、続く同じ進歩派の盧武鉉(ノ・ムヒョン、任期03年2月~08年2月)ではやや「平和共存」へと傾くことになる。

 そしてその後、9年間の保守政権を経て、文在寅(ムン・ジェイン、任期17年5月~22年5月)では「共同繁栄」へと舵を切ることになる。

 つまり『民族共同体統一方案』という「吸収・体制統一」を維持しながらも(YES)、その中身は進歩派政権下で次第に「共存」へと形を変えていった(NO)ということだ。次項でより詳しく説明する。

***

(2)北朝鮮と韓国の統一路線に合意があったのか(同じ方向を向いていたのか)?

 答えは「YES」だ。この合意が時の流れと共に次第に曖昧となる中で、今回完全に失われたものと考えればよい。

 南北の統一路線についての合意は00年6月の南北首脳会談の席で行われた。1948年に南北両政府が樹立して以降、はじめての首脳会談だった。

 韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は当時の『6.15南北共同宣言』の中で「互いの理解を増進させ、南北関係を発展させ平和統一を実現する上で重大な意義を持つもの」と会談を位置づけている。

 5項にわたる宣言は様々な意味を持つが、本論考と関連し最も重要な一文は第2項の「南と北は国の統一のために、南側の連合体案と、北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認め、今後はこの方向から統一を指向していくことに合意した」というものだ。

 これは、前述した韓国の『民族共同体統一方案』の二段階目にあたる「南北連合」が、北朝鮮側が1973年、80年そして1991年に更新し主張し続けてきた『高麗民主連邦共和国創立方案』における「低い段階の連邦制」と相通じるものとする見解の一致だった。

 なお高麗連邦制は当初、「二つの体制のまま第一段階として一つの国を作ろう」というものだったが韓国が受け入れるはずもない中で、変化してきた。

 これを裏付ける金正日委員長の発言を、会談の裏方として活躍した林東源(イム・ドンウォン)国家情報院長(当時)は自叙伝の中でこう伝えている。

私(金正日)は完全な統一までは今後、40年、50年がかかると考えます。そして私の主張は連邦制ですぐに統一しようというのではありません。それは冷戦時代に主張したことです。私が言う『低い段階の連邦制』は南側の『連合制』のように軍事権と外交権を南北がそれぞれ保有し、暫定的に統一をしようという概念です」。
『南北首脳会談への道』

 つまり、当分の間は南北という二つの体制のまま協力していこうということだ。韓国では当時、南北の往来が実現する「事実上の統一」を目指すものともされた。そして南北双方は交流に乗り出すことになる。

2000年6月、南北共同宣言に合意した金大中(左)と金正日(右)。青瓦台提供。

2000年6月、南北共同宣言に合意した金大中(左)と金正日(右)。青瓦台提供。

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 ここで少し、00年以降の南北関係の変化をざっとまとめてみたい。

 首脳会談でまとまった妥協点の下でついに、南北交流が本格化する。98年に始まっていた北朝鮮の名勝・金剛山観光に加え、03年には過去に北朝鮮の軍隊が駐屯していた土地に開城(ケソン)工業団地が着工し、05年から稼働を開始した。

 金大中政権を継いだ同じ進歩派の盧武鉉政権下でも南北交流は進んだ。

 90年代末から00年代にかけて、北朝鮮の各地に工場を作るなど南北間で事業を行う韓国の企業人が現れ、平壌のマスゲームを見学するツアーのため、ソウル・平壌間を毎日飛行機が飛んだ時期もあった。00年代は今では考えられない「南北交流の全盛期」となった。

 金大中は自身の北朝鮮政策を「太陽政策」を名付けた。これは「北風と太陽」の寓話によるもので、北朝鮮に太陽を浴びせることで「開放」へと向かわせるという、明確な「介入」の意志を持つものだった。

 金大中の右腕として北朝鮮政策を実行した林東源は、私とのインタビューの中でこれを「量的な変化が積み重なると、ある時期に至ると質的な変化が起きるということ」と表現している。

 この意図を知らない金正日ではなかった。経済状況の改善に韓国を利用しながらも、「太陽はミサイルより怖い」と韓国の底意を脅威として感じていた。

 当時、南北関係をリードしていたのは言うまでもなく韓国だった。つまり、建前(南北交流)と本音(開放からの変化)が共存する危うい南北関係が続いていたことになる。

在りし日の開城工団。縫製は北朝鮮労働者が得意とする分野だ。写真は開城工業団地支援財団提供。

在りし日の開城工団。縫製は北朝鮮労働者が得意とする分野だ。写真は開城工業団地支援財団提供。

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 一方、盧武鉉政権に入り、南北関係を扱う世代が交代することになる。過去の日本による植民地時代や朝鮮戦争を知る34年生まれの林東源に代わり、58年生まれの李鍾奭(イ・ジョンソク)が南北関係の中心となる中で、北朝鮮との「平和共存」を目指す動きに変わってゆく。

 長期的な関係を見据え、北朝鮮を変化の対象と見るのではなく「あるがまま」に受け止める形へとシフトしていった。

 盧武鉉政権では東北アジアの平和にも積極的に関わった。この時期には6者協議を通じ、北朝鮮の核計画の放棄と米朝関係正常化を交換する合意(9.19合意)もあるなど、様々なチャレンジが存在した。

 06年10月に金正日は初めての核実験を行う。南北交流は次第に先細りになりながらも続いたが、韓国が保守政権に変わることで状況は一変する。

 李明博(イ・ミョンバク、任期08年2月~13年2月)は核問題を南北関係の入り口に設定し、これが解決しない限り南北関係は1ミリも動かない構図を作り出す。

 一方で北朝鮮は10年3月に韓国の哨戒艦『天安』を爆沈させる。46人の戦死者を出したこの事件を受け、李明博は『5.24措置』を発表、開城工団を除くあらゆる南北交流が絶たれた。

 続く朴槿惠(パク・クネ、任期13年2月~17年3月弾劾)時代には、「統一は丸儲け」と大統領が述べるなど、根拠のない北朝鮮崩壊論が幅を効かせた。金正恩氏も後継作業を一段落させ核・ミサイル開発に乗り出したことで開城工団も閉鎖され、南北関係はゼロとなった。

平澤(ピョンテク)市の韓国海軍第二艦隊司令部内に展示されている哨戒艦『天安』の断面。海底から引き揚げた実物だ。船体の下から両断された痕跡がありありと残っている。23年5月、筆者撮影。

平澤(ピョンテク)市の韓国海軍第二艦隊司令部内に展示されている哨戒艦『天安』の断面。海底から引き揚げた実物だ。船体の下から両断された痕跡がありありと残っている。23年5月、筆者撮影。

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 このように2010年代の南北関係は「断絶」と表現できるが、北朝鮮が原因を提供した側面もあるが、先に断絶を決断したのは韓国だった。保守政権にとって北朝鮮との関係悪化は「惜しくない」ものであるという政治的な背景もあった。朝鮮半島の緊張は、保守層を集結させるまたとない材料だった。

 朴槿惠大統領は、憲法が定める大統領としての責務を果たしていないと判断した市民による大規模な「ろうそくデモ」と、一部の保守陣営議員の見限りにより弾劾された。

 17年5月に発足した文在寅政権は、南北関係の改善に政府のエネルギーを傾注していく。

 この時には、過去の金大中、盧武鉉政権下での経験が総動員された。韓国が主導権を握り、南北関係と米朝関係を積極的に動かしていった。

 目的は朝鮮戦争の終結という不可逆的な前進であり、その原動力は、政府の中心勢力となった民主化運動世代の「民族心への訴え」だった。

18年9月20日、白頭山の天池で記念撮影する南北両首脳夫妻。写真は平壌写真共同取材団。

18年9月20日、白頭山の天池で記念撮影する南北両首脳夫妻。写真は平壌写真共同取材団。

 18年9月の南北首脳会談の際、平壌のメーデー競技場で文在寅が北朝鮮住民の民族心に訴え演説したシーンや、翌日の白頭山訪問などがそのピークだった。

 南北の民間交流も再開されていなかったが、韓国内では18年末の段階で「どうやって南北連合(二段階目!)に入るか」という議論が存在していた。

 金正恩も史上初の米朝首脳会談をこなすなど、もしかしたら訪れるかもしれない「軟着陸」への期待に、ある程度の可能性を感じていたと見る。

 だが、乾坤一擲で臨んだ19年2月のハノイ米朝首脳会談が決裂するや、文在寅政権の北朝鮮政策が張りぼてであったことが露呈し、金正恩の怒りが韓国に向かうことになる。

 同時に、止めていた核・ミサイルの開発に拍車をかけ金正恩はいつ来ると分からない「次のチャンス」を狙うこととなった。

 22年3月に発足した尹錫悦政権は、北朝鮮との対話を一切望まないという特徴がある。それどころか、存在すら認めない徹底ぶりだった。この点については後述したい。今回の金正恩の絶縁宣言はその延長上にある。

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続きは、6383文字あります。
  • (3)上記を踏まえた上で、金正恩氏はいったい何を拒否しているのか?
  • ◎負けてはいない尹錫悦政権
  • ◎今後の朝鮮半島の展望は「戦争」?
  • ◎南北は「国と国の関係」に

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