広がる尹錫悦「釈放」の余波…憲法裁の宣告ひかえ韓国の陣営対立は‘総力戦’に

韓国社会の陣営間対立が極みに達している。背景には尹錫悦釈放に加え、憲法裁判所による弾劾宣告が目前に迫るという複合的な理由がある。内戦と言う他にない韓国の事情をまとめた。
徐台教(ソ・テギョ) 2025.03.12
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◎眠れぬ市民

「ふたたび『内乱不眠症』に悩まされたくはない」

 韓国のリベラル系日刊紙『京郷新聞』は10日、朝刊の一面にこう大きく見出しを取った。すぐ下には広場に集まる市民の写真が大きく添えられている。

 韓国の政治報道はとにかくハイコンテクストだ。特定の考えや知識の共有を前提とし、知識層向けに難しいことを事もなげに書く。韓国メディアの記事の日本語訳はヤフーニュースで何十本と読める。だが、日本の市民にとっては、その内容をすぐに理解するのは難しいだろう。

 冒頭の見だしを改めて見ていこう。この場合のキーワードは「内乱不眠症」となる。いったい何を指しているのか。

 ここにはまず、昨年12月3日深夜の尹錫悦大統領(以下、敬称略)による非常戒厳の宣布を内乱とする視点がある。

 憲法や戒厳法で定めた非常戒厳の要件を満たさず、国会や選挙管理委員会という憲法が定める機関を、国軍を用い占拠しようとした点が内乱の要件を満たすとみられている。

 1月26日、尹錫悦は内乱罪で起訴されているものの、裁判はまだ始まったばかりで内乱罪と確定した訳ではない。このため韓国メディアでは「12.3非常戒厳」と「12.3内乱」の双方が使われている状況だ。リベラル系は当初から一貫して「内乱」という表現を用いている。

3月10日付けの『京郷新聞』一面。「ふたたび『内乱不眠症』に悩まされたくはない」とある。筆者撮影。

3月10日付けの『京郷新聞』一面。「ふたたび『内乱不眠症』に悩まされたくはない」とある。筆者撮影。

 次に不眠症という表現だ。

 これは昨年12月3日の非常戒厳から尹錫悦が逮捕される1月15日までの間の眠れぬ夜を指すものだ。内実は二段階に分かれる。

 一段階目は、尹錫悦が一度失敗した非常戒厳をいつまた起こすか分からないという不安によるもので、これは昨年12月14日に国会で弾劾訴追案が可決され尹錫悦が職務停止、すなわち大統領としての権限を一時的に失ったことで解消した。

 二段階目は、職務停止から逮捕される1月15日までを指す。この時、尹錫悦はソウル市内の公邸にいた。職務停止になったとはいえ、未だ大統領の地位にあることからその権力を用い何か事を起こすのではないかという不安は温存されたままだった。

 昨年12月31日にソウル西部裁判所が尹錫悦に対する逮捕状を発付し、これは一度の延長を経て1月15日に執行されることになるが、この間に不安が増大した。

 大統領警護処を尹錫悦が私兵のように扱う様子に市民の多くが暴発の危険性を感じた。二度目の挑戦で逮捕に至るや、ようやく市民は胸をなで下ろしたのだった。

 序論が長くなってしまったが、この見だしはつまり、尹錫悦がふたたび野放しになることへの不安が共有される前提に成り立っている。尹錫悦釈放と共に眠れぬ夜が舞い戻ってきたのだ。

 一方で、尹錫悦を支持する市民にはまったく当てはまらない感情であることが事の理解を難しくしている。いずれにせよ8日、ソウル拘置所に拘置されていた尹錫悦が釈放された。

◎ガッツポーズを繰り返す尹錫悦

 8日午後6時前、京畿道(キョンギド)義王(ウィワン)市にあるソウル拘置所前には、尹錫悦を支持する市民が集まっていた。

 1月15日に尹錫悦が逮捕されて以降、支持者はこの場所での集会を欠かさず続けてきた。それは塀の中の尹錫悦を応援する悲壮なものであったが、モニターから伝わるこの日の雰囲気は、一転して喜びに満ちていた。韓国の国旗・太極旗と星条旗を振る尹錫悦支持派市民の顔には笑顔があった。

 警護車両を引き連れた尹錫悦が姿を現すと、場の興奮は最高潮に達したようだった。

 尹錫悦の表情も明らかに上気していた。手を振り、顔の前で握り拳を作るガッツポーズを取り、さらに90度のおじぎをするという、謙虚なのか傲慢なのか分からないパフォーマンスを繰り返した。予想外の釈放であったことをよく表す動きであった。この行動は、のちにソウル市内の公邸にした際、集まった支持者に対しても行われた。

8日夕方、ソウル拘置所でガッツポーズを見せる尹錫悦大統領。KBSニュースをキャプチャ。

8日夕方、ソウル拘置所でガッツポーズを見せる尹錫悦大統領。KBSニュースをキャプチャ。

 尹錫悦の本心はどこにあるのだろうか。釈放の際に弁護団が発表した文面にヒントがある。

 「不法を正した裁判部の勇気と決断に感謝する」という部分が象徴するように、同氏は今なお自身の正当性を信じて疑わないようだ。

 自身の非常戒厳が韓国の陣営対立を助長し、経済に悪影響を与え、トランプ就任により揺れ動く世界情勢の中で韓国の存在感をゼロにしているといった事には思いが及ばないようであった。もしくはあえて無視しているかだろう。

 非常戒厳を引き起こした点への謝罪がない上に、支持者のみを対象に感謝の意を述べる尹錫悦の態度にはメディアからの批判が相次いだ。

 さらにこの日の晩、大統領室は「健康に問題はない。睡眠をたくさん取ったのでより健康になった。拘置所は大統領が行っても学ぶものが多い場所だ。聖書を熱心に読んだ」という尹錫悦のコメントを発表した。不眠症をおそれる市民をよそに、天下泰平そのものであった。

◎尹錫悦釈放の根拠

 そもそもなぜ尹錫悦が釈放されたのか。ソウル中央地裁は7日、尹錫悦が請求していた「拘束取消」請求を認容する際に説明資料を配付した。その内容は大きく二つに分けられ、これによると尹錫悦側の主張が一部受け入れられた形となる。それぞれ見ていく。

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