【全文無料公開】韓国小学生が北朝鮮の人権侵害を仮想体験、米高官発言から読む米朝対話が「無い」理由など 全10トピック

今号は南北関係・朝鮮半島情勢を中心にお届けします。北朝鮮は遠くになりにけり。VRで北朝鮮を知る時代になりました。米朝の立場の違いも明確に。長い氷河期は南北の衝突によってのみ終わるのでしょうか?
徐台教 2023.12.09
誰でも

(12月9日)サポートメンバーをはじめ読者の皆さん、アンニョンハセヨ。

 ニュースレター第22号をお届けいたします。韓国社会・韓国政治を扱った前号に続き、南北関係や朝鮮半島情勢を扱う今号も無料公開といたします。じっくりお読みいただき、無料会員登録そしてサポートメンバー(有料会員)へのご登録をお願いします。また、SNSを通じた拡散も大歓迎です。

 年末が近づくに従い、南北関係は何事もなく終わりそうな雰囲気がある一方で、北朝鮮の発言のボルテージは高いままです。韓国政府が少し引いた発言をしましたが、依然として予断を許さない状況と言えるでしょう。

 今号の目次は以下の通りです。お好きなところから選んでお読みください。

  • 韓国から見た南北関係(1):小中学生を対象にVR用い北朝鮮の人権侵害を追体験… 統一部が開発

  • 韓国から見た南北関係(2):統一部長官「北朝鮮は様々な困難に直面している」、「世襲の意志を誇示」と説明

  • 朝鮮半島情勢(1):「北朝鮮は米国との外交に興味がない」カート・キャンベル国務副長官候補が明かす

  • 朝鮮半島情勢(2):トランプ「金正恩は私を好いている」、北朝鮮メディア「戦争は時間の問題」

  • ショートニュース:(1)韓国が「北朝鮮の技術とは比べものにならない水準」の人工衛星を発射(2)98歳「元北朝鮮女性スパイ」が再審請求(3)3年前に起きた北朝鮮による韓国公務員射殺事件の監査終わる...与野党が正面衝突(4)北朝鮮も少子化を懸念?金正恩氏が「オモニ大会」に出席(5)非核化が先?統一が先?大学生への世論調査結果は「前者」

  • あとがきに代えて:VRで何を見せるか?

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◎韓国から見る南北関係(1):小中学生を対象にVR用い北朝鮮の人権侵害を追体験… 統一部が開発

 この一週間で最も衝撃を受けたニュースかもしれません。

 南北関係を主管する韓国の政府組織・統一部(日本では統一省とも)傘下の国立統一教育院が7日、「今月、全国の小中学校10校約1600人の学生を、対象に仮想現実(VR)を通じた『統一安全保障教育』を行う」と発表しました。

 統一教育院とは、学生から社会人などあらゆる韓国市民を対象に統一教育を行う機関です。専門講師を養成し派遣するといった研修を主業務とし、時代にあった(政権にあった)教育プログラムを開発も並行して行っています。

 VRを活用した今回の新プログラムの目標について、統一教育院は報道資料の中で「VRコンテンツを活用し、未来の主役である青少年たちに統一を現実感をもって教育し、統一についての共感を拡散させる点を目的としている」と説明しています。

VR機器を装着し実際に学生たちが学ぶ様子。統一教育院資料より引用。

VR機器を装着し実際に学生たちが学ぶ様子。統一教育院資料より引用。

 写真にもあるように、学生たちは頭部に着用した機材を通じ北朝鮮を体験するというのですが、その中身はなかなか衝撃的です。

 なぜなら、韓国の小中学生は北朝鮮の青少年となり、人権侵害を追体験することになるからです。

 プログラムは二つあるそうです。

 まず『北韓の一日』では、▲美術の時間に自由に絵を描いたことで「自己批判」をさせられる▲薬が足りないためしっかりした治療を受けられない▲韓国のドラマを観たことで『反動思想文化排撃法』により犯罪者となる、というシナリオを体験します。

 少し説明すると「自己批判」というのは他人の前で自らの行動がいかに間違っていたのかを批判するものです。朝鮮労働党や指導者の教えを根拠に行います。

 また『反動思想文化排撃法』というのは20年12月に制定された、韓国や米国の映画やドラマ、本や歌などを「見たり聞いたり保管した者、流布した者」を罪とするものです。単純視聴から流入・流布まで罰則が分かれており、5年以下の労働教化刑(懲役)や最高で死刑といった内容が代表的に知られています。

 もう一つは『明らかになった今日の北韓』です。

 ここでは、▲ドローンを操縦し北朝鮮の住宅の劣悪な現実を把握し▲自動車を運転し老朽化した北朝鮮の道路状態を体験し、統一韓国の住宅と道路の変化を第4次産業革命の技術と合わせ想像する、とのことです。

 統一教育院では今回の教育の目標について「韓国の青少年が北朝鮮の青少年の実情と人権状況を知らせ、これを基に統一教育の方向性について考える時間を持つ」と明かしています。「自由と統一について考える」ともしています。

実際の画面。左上から時計回りに「北朝鮮の青少年の授業体験」、「北朝鮮の病院体験」、「農村支援活動の体験」、「北朝鮮の住宅体験」となります。統一教育院資料より引用。

実際の画面。左上から時計回りに「北朝鮮の青少年の授業体験」、「北朝鮮の病院体験」、「農村支援活動の体験」、「北朝鮮の住宅体験」となります。統一教育院資料より引用。

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 さて、こんな新たなプログラムをどう理解すべきでしょうか。三つの観点から読み解けます。

 まず、北朝鮮は本当に遠くなったなと感じました。

 00年代には年間数万人が行き来していましたが、ここ3年は新型コロナと南北関係悪化のため往来はゼロ。脱北者も21年と22年には年間100人を切るなど北朝鮮はもはや完全に手の届かない土地になっています。VRに頼らないと体感できないということです。

 次に、そんな北朝鮮の仮想体験を人権侵害の追体験に結びつける尹錫悦政権の方針の激しさが目立ちます。

 単純な生活体験でも良さそうなものですが、そうではなく敢えて人権侵害に結びつけることで、金正恩政権の正当性・正統性を否定したい目的が伝わってきます。

 統一教育院にはこれまで蓄積してきた統一教育に対する別のノウハウがありそうですが、政権に忖度せざるを得ない政府機関の運命でもあります。

 最後に、北朝鮮の落ちぶれた経済を強調することで、統一教育が「吸収統一教育」に変わりつつある点です。

 以前のニュースレターでも触れてきたように、韓国の統一方案は「和解協力→南北連合→完全統一」の三段階の方法論、すなわち『民族共同体統一方案』が過去30年にわたって維持されてきました。尹政権は来年、これを変えることを言明している点にも鑑みて、統一教育も転換期にあると見るべきでしょう。

「北朝鮮の道路体験」の2シーン。実際に体験してみたいものです。統一教育院資料より引用。

「北朝鮮の道路体験」の2シーン。実際に体験してみたいものです。統一教育院資料より引用。

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 実はVRを使った北朝鮮体験プログラムは今回がはじめてではありません。韓国から北朝鮮へと汽車旅行をするものが既に開発され、韓国内のいくつかの施設で利用できます。

 私は今回の動きを韓国メディアの短い記事で知ったのですが、関心を抑えきれず(?)8日、プログラムを開発した統一教育院に電話で取材しました。

 開発担当の方によると「VRを使い人権侵害について学ぶプログラムは初めて」とのことでした。また、12月1日の釜山市内の小学校を皮切りに既に4校で実施されたとのことです。

 このプログラムを今後拡大するかについては「開発部署で決めることではない」としながらも、「まずは学校でやって反応がよければ、各地にある『統一館』を通じて市民へと対象を拡大することも考えられる」とのことでした。

 なお、肝心の反応ですが、急いで電話したので聞くのを忘れてしまいました。大失態です。月曜日に取材し直して再度記事を配信します。

 しかしこの「統一教育」の結果として得られるものは「北朝鮮(より正確には金正恩政権)の施政はダメだ」というところにしかならないでしょう。

 それは明らかな事実ではありますが、南北関係という、より広い見地からの教育が補完的に行われるべきと私は思います。

同プログラムを紹介する統一部のバナー。

同プログラムを紹介する統一部のバナー。

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◎韓国から見た南北関係(2):統一部長官「北朝鮮は様々な困難に直面している」、「世襲の意志を誇示」と説明

 こんな統一部の攻撃的とも取れる動きの背景には、「北朝鮮が白旗を上げるまで対話はしない」という尹政権全体の北朝鮮政策の基調が横たわっています。

 金暎浩(キム・ヨンホ)統一部長官もまた、こんな尹政権の北朝鮮政策を支えています。同氏は過去、韓国版『新しい歴史教科書』運動とも言うべき動きに深く関わってきた人物で、北朝鮮の正統性を認めず強く嫌っていることで知られています。

 6日、金長官は統一部のクラブ記者団を相手に記者懇談会を持ちました。

 私は外信メディアなので入れなかったのですが、金長官の発言の一部を入手したのでそれを元に内容を見ていきます。

 金長官はまず今年の韓国政府の北朝鮮政策について「3Dアプローチという努力を一貫して傾けてきた」と振り返りました。

 これは「抑止(Deterrence)ー断念(Dissuasion)ー対話(Dialogue)」というもので、尹政権の北朝鮮政策の根幹の一つです。ひと言で、北朝鮮が核を断念することを全世界に公言してはじめて、北朝鮮と対話をするというものです。

6日、発言する金暎浩長官。統一部提供。

6日、発言する金暎浩長官。統一部提供。

 金長官は3Dアプローチの具体例として「北朝鮮の人権改善を北朝鮮政策の優先順位に置いた」ことを挙げています。「中国政府による脱北者の強制送還問題を国際社会に集中的に提起してきた」とも述べました。

 一方で、「今年一年、北朝鮮当局が様々な困難に直面したという信号が続出している」と北朝鮮内部の事情についても言及しました。

 具体的は以前紹介したような「北朝鮮の在外公館の撤収」、さらに「北朝鮮の発表よりも悪い作況と北朝鮮当局による糧穀流通の統制により食糧難が続いていること」などを挙げています。

 また、今年になって韓国入りした脱北民が「180余人まで増えていること」に言及しました。21年(63人)と22年(67人)と比べ増えている背景として、新型コロナによる統制が弱まったこと以外に「代案文化の影響が明らかに存在すると判断している」と述べました。

 代案文化というのは、北朝鮮以外の文化、より正確には韓国の文化ということです。

 金長官は最近韓国に入国した脱北者による「USBメモリ、ラジオ、海岸に漂着するゴミなど様々な経路で韓国の文化に触れ、北朝鮮の現実と対照的に発展した様や自由な社会の様子を見て脱北を決意した」という言葉を伝えました。これは前出の『反動思想文化排撃法』の存在と対になる話です。

 その上で最近になって金正恩氏が娘を引き立てていることの背景に、上記のような北朝鮮の困難な環境の中で「世襲の意志を誇示しているもの」と診断しました。

金正恩氏の娘、ジュエ氏。朝鮮中央通信より。私の娘と同じ2013年生まれとされますが、やたら貫禄があります。

金正恩氏の娘、ジュエ氏。朝鮮中央通信より。私の娘と同じ2013年生まれとされますが、やたら貫禄があります。

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 金長官はまた「北朝鮮の経済難は金正恩政権が自ら招いているもの」と指摘しました。核とミサイル開発に没頭していることが原因で、これを正当化するために朝鮮半島の緊張を高めているという論理です。

 北朝鮮は年末に朝鮮労働党第8期第9次全員会議を予定していますが、これに控え「軍事政治ではなく民生政治に政策の方向を転換すべき」と異例のメッセージも送りました。

 来年の北朝鮮政策については「北韓の様々な政治・軍事的な動きを予想しながら断固としつつ、節制した対応をしていく」と明かしました。これは内外で尹政権の強硬な北朝鮮政策による不安が高まっていることに配慮した発言といえます。

 その上で、韓国政府は「北韓が正しい方向に反応するよう努力を続けていく」と述べ、年内に発表予定の北朝鮮人権問題へのロードマップを中心に、人権改善に向けた国際協力を強めていくとしました。あくまで人権問題を中心に据えていくこということです。

 最後に来年30周年を迎える『民族共同体統一方案』についての言及もありました。「これを契機に統一論に関する議論が活性化し、日常化するように力を入れていく」とのことです。

 しかし、南北関係というのは文字通り「関係」であるべきであって、金長官がこれまで発表してきたものはすべて韓国「だけ」で完結する話です。

 ということで、来年も今年と変わらない一年になりそうです。南北の距離感だけが目立つことになるでしょう。

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◎朝鮮半島情勢(1):「北朝鮮は米国との外交に興味がない」、カート・キャンベル国務副長官候補が明かす

 バイデン米大統領が国務副長官に指名したカート・キャンベル国家安全保障会議(NSC)インド太平洋調整官。オバマ政権第一期(09~13年)で国務次官補を務める一方、16年には米国のインド太平洋戦略の指針書の一つ『THE PIVOT』を著すなど、「アジアへの回帰」を掲げる第一人者として知られています。

 バイデン政権のアジア外交を仕切り、今年8月の日米韓首脳会談実現にも大きな役割を果たした同氏は今月7日、米上院で指名公聴会に臨みました。

 『聯合ニュース』によるとキャンベル氏はこの席で「北朝鮮は現在の環境の中で、米国との外交にこれ以上関心がないと判断したのではないかと憂慮している」と述べました。同氏はさらにこの状況を「私たちが抑止力により集中すべきことを意味する」と読み解きました。

 また「北朝鮮は(トランプ前大統領との)会談が決裂して以降、米国が北朝鮮と接触するために使用したすべての努力を拒否した」とも明かし、その「努力」の具体例として、▲新型コロナが大流行する際にワクチンを提供する意思を表明したこと、▲人道主義を土台にする「関与」を挙げました。

 次いで「書簡をを送ったり、北朝鮮と接近しようと相手に会うことにも困難であった」と率直に吐露しました。同氏は他にも北朝鮮の核やミサイル、そしてロシアへの軍需品の取引などに懸念を表明しました。

カート・キャンベル氏。66歳。公聴会の映像をキャプチャ。

カート・キャンベル氏。66歳。公聴会の映像をキャプチャ。

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 ここまで読んだ皆さんは「北朝鮮は本当にしょうがない国だ」とため息をつくかもしれません。しかし私は少なくとも外交的見地からはそう思いません。キャンベル氏の発言を「米国もまた対話をする気がない」と読むからです。

 ヒントは同氏の発言の中にあります。米国が「交渉が決裂した時点」に戻ろうとしていないから、北朝鮮は乗ってこないのです。

 その時点とは、19年2月にベトナム・ハノイで行われた米朝首脳会談です。

 この会談ではトランプ大統領と金正恩委員長との間で、前年6月にシンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談で署名した宣言に明記された「新しい米朝関係」と「朝鮮半島における持続的で安定した平和体制を構築」するための具体的な合意が問われていました。

 しかし会談は、国連安保理による経済制裁の解除(一部なのか全てなのかは未だに不明も、一部であったという解釈が多い)を求める代わりに寧辺核施設の全面廃棄を掲げた北朝鮮と、さらなる「カード」を求める米国の間で決裂しました。

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 なお米国における核兵器研究の総本山・ロスアラモス研究所で1985年から97年まで所長を務めた第一級の核専門家のシグフリード・ヘッカー氏(80歳)は、04年から10年まで7年のあいだ毎年北朝鮮の核施設を訪問した経験からくる北朝鮮の核開発に対する技術的な分析と、米国の過去25年の対北朝鮮外交政策を並べて分析した著書『核の変曲点(原題:HINGE POINTS: An Inside Look at North Korea’s Nuclear Program)』の中で、ハノイ米朝首脳会談について興味深い言及をしています。

 昨年、米韓メディアで18年4月1日から19年8月5日にかけてトランプと金正恩の間に交わされた親書27通全文が公開されました。ヘッカー氏はその中でも18年9月6日に金正恩が送った親書の内容にある以下の一文に注目します。

「シンガポール首脳会談で署名した歴史的な共同声明を誠実に履行していくという私の決意に変わりはなく、私たちがこれまでに行った措置に加え核武器研究所や衛星発射場の全面稼働中断、核物質生産施設の不可逆的な閉鎖など意味のある措置を継続して行う動力を維持するためには、私たちが傾ける努力が決して無駄ではないことを証明する周辺環境の変化を、少しだけでも感じる必要があります」

 これは当時、核・ミサイル実験のモラトリアム(停止)や風渓里(プンゲリ)核実験場の破壊といった「非核化に向けた実質的な措置」への見返りを求める内容です。

 金正恩氏は対話路線に転換した17年12月から、対話を終えることを決めた19年10月のあいだ、米国をはじめ国際社会から何ら見返りを得ることができなかったのですが、この親書の段階で既に一方的な譲歩を求める米国に対する焦燥感と苛立ちが表れています。

 しかしヘッカー氏が注目したのは「核武器研究所の全面稼働中断」という部分でした。

 米ロスアラモス研究所での経験から核開発における専門家の役割を熟知する同氏は、過去に一度も登場しなかった「北朝鮮核開発の頭脳」(同書より)と言える施設の閉鎖が、「金正恩が過去一年(18年2月から19年2月)の間おこなった最も重大な提案」であると評価しています。

 そしてこのカードがなぜ、19年2月のハノイ米朝会談で触れられなかったのか、著書の中で疑問を呈しています。

 北朝鮮の核開発におけるハード的な中心である寧辺核施設と、ソフト的な中心である核武器研究所の破棄は、ハノイで米朝の妥結を導くのに十分なカードであったのではないかという職人的な「悔い」とも言える思いが、一連の文章ににじんでいます。

シグフリード・ヘッカー博士の著書、『核の変曲点(原題:HINGE POINTS: An Inside Look at North Korea’s Nuclear Program)』。未邦訳。

シグフリード・ヘッカー博士の著書、『核の変曲点(原題:HINGE POINTS: An Inside Look at North Korea’s Nuclear Program)』。未邦訳。

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 私も同じ思いであるため、引用が長くなってしまいました。

 前掲のキャンベル氏の発言からは「決裂した場所に戻ろうとしていないこと」がすぐに分かります。

 ワクチン提供や人道主義的「関与」というのはいわば枝葉末節に過ぎません。これは金正恩が文在寅政権からの人道支援をことごとく断り続けていたことと同様で、本質的でない関係改善をする気はないという方針の表れです。

 北朝鮮を対話の場に引っ張り出すことができるカードは、今なお「米朝国交正常化=朝鮮戦争停戦協定を平和協定へと転換=国連制裁全解除=朝鮮半島の非核化」という長いプロセスを「米朝首脳の合意の下で段階的に進めていく」という約束をできる場を作るという一点しかありません。

 言い換えると、米政府が金正恩氏を対話のパートナーとして認めること、さらに米国が朝鮮半島を冷戦の最前線とするという70年にわたって続いてきた「板門店体制」の解消に向けて動くことが揃ってはじめて、対話のテーブルが成立する訳です。

 しかし、カート・キャンベル氏のアジア戦略は真逆です。

 同氏は前掲の『THE PIVOT』の中で米国の目標の目標について「第2次世界大戦以降、アジアで米国の伝統的な役割、つまり同盟国に対する約束を守り、アジアの‘運用体系(過去40年間繁栄と安保を維持してきた複雑な法的、安保的、実質的な制度)を維持するものだ」と記述しています。

 その視点は北朝鮮でなく、中国の封じ込めにあります。

 同氏はこの目的の下で実際に米・英・豪の安全保障の枠組み「AUKUS」や同じく日・米・印・豪の枠組み「Quad」を作る一方で、日韓の間を取り持ち、今年に入って日米韓の連携をかつてないほど高めることに成功しました。

8月18日(現地時間)、米国キャンプ・デービッドで首脳会談を行った日米韓三か国首脳。写真は韓国大統領室提供。

8月18日(現地時間)、米国キャンプ・デービッドで首脳会談を行った日米韓三か国首脳。写真は韓国大統領室提供。

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 ここまで読めばお分かりかと思いますが、そこには上記のような米朝関係改善のプロセスが入る余地はゼロです。日米韓同盟の強化と米朝関係改善は両立しません。だから対話が成立するはずもないのです。

 もちろん、北朝鮮側の変化もあります。米国との関係改善、つまり「戦略的和解の可能性」(ヘッカー氏前掲書)が難しいとみるや金正恩氏は21年1月の党大会から大きく方針を転換し、軍事力の再強化に踏み切りました。

 そして新型コロナというトンネルを抜け、今はウクライナ戦争の下、軍需物資の提供をテコにしたロシアとの関係改善そして経済的な特需状況を作り出すことに成功しました。このWin-Winの関係がいつまで続くかは分かりませんが、以前より安定して独自路線を進むことが可能になりました。

 キャンベル氏の発言からは、こんな朝鮮半島情勢をめぐる現住所が浮き彫りになったと言えるでしょう。

 いみじくもこのニュースレターを書いている(いつまで書いているんだというツッコミは無しでお願いします)9日、韓国ソウルの大統領府で日米韓の安保室長が共同記者会見を開きました。

 そこには「北朝鮮に関連する国連安保理決議による、北朝鮮の非核化義務と軍事協力を禁じる義務を再確認し、これに対する国際社会の徹底した履行を確保するために三か国の共助を強めることにした」とありました。

 一期目のバイデン政権が終わるまで、もはや米朝対話はありません。あるとしたら南北間で局地的・偶発的な戦闘が起きる時でしょう。しかし韓国もまた対話をする気がないことは前項で見た通りです。そうなると次の大統領選が争点となる他にありません。

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◎朝鮮半島情勢(2):トランプ「金正恩は私を好いている」、北朝鮮「戦争は時間の問題」

 せっかくなのでもう少しだけ、朝鮮半島情勢の話を続けてみましょう。

 24年11月に行われる米大統領選に臨むトランプ前大統領は2日(現地時間)、米国の北朝鮮政策に言及する中で金正恩氏との関係に触れました。

 『聯合ニュース』によるとトランプ氏はこの日、アイオワ州シーダー・ラピッズで行った遊説で「彼(金正恩)は彼(バイデン大統領)と言葉すら交わさないだろう。北朝鮮は彼(バイデン)と話さない。しかし彼(金正恩)は私を好いている。彼は私を好いている」と述べ、「周知のように(在任期間の)4年間、皆さんは北朝鮮とどんな問題もまったく無かった」と主張したとのことです。

 めちゃくちゃな文章で引用しながら「おいおい大丈夫かよ」と思ってしまいますが、もう少し見ていきましょう。

 トランプ氏はさらに「良い関係を結ぶ時、核兵器や他の多くの物を保有した人々と良い関係を結ぶことは良いことだ。悪いことではなく良いことだ」と述べたそうです。

 なんだか頭が痛くなってきましたが、これくらい掟破りではないと対話が成り立たないということなのでしょうか。

18年6月12日、シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談での両氏。写真は合同取材団。

18年6月12日、シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談での両氏。写真は合同取材団。

 韓国の進歩派の専門家の中には「金正恩はトランプ再選を望んでいる」と見る人もいますが、以前のようにはいかないでしょう。

 トランプが対話に臨むとしても、先に述べたような米朝の未来に待ち受ける長大なプロセスを見極め、一つ一つを辛抱強く、そして理知的に進めていくことは不可能でしょう。誠に前途多難です。

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 一方、北朝鮮も続けざまに強い立場を明かしています。

 2日に発表した外務省代弁人(報道官)談話の中で「敵対勢力の侵害から国家の自主権と安全利益を堅く守護することは朝鮮民主主義人民共和国の主権的権利である」と主張しました。

 これは先月行った北朝鮮の偵察衛星発射に対し制裁を加えた米国や日本、韓国や豪州の立場批判するもので、主権平等・内政不干渉・自決権尊重という国連憲章を侵害しているのは米国であるという反論です。北朝鮮もまた「米国とその追従勢力の人物たちと機関、団体に対し対応措置を適用する」と明かしました。

 さらに3日には『軍事論評院』の名義で、朝鮮中央通信により過激な論評が載りました。

 「いま朝鮮半島には収拾できない統制不可能な険悪な事態が造成されている」という文章で始まる6000字あまりの長い文章です。

 『≪大韓民国≫の者どもは北南軍事分野合意書を破棄した責任から絶対に逃れることができない』という題名の通り、韓国の強硬な姿勢を非難する論調で一貫しています。

 ちなみに、北朝鮮がこれまで「南朝鮮」や「傀儡」としていた韓国を「大韓民国」と称するのはバカにする意味が大きいものです。

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 論評の要旨は『9.19南北軍事合意書』を韓国側が先に一部効力停止したことから、朝鮮半島の緊張を尹錫悦政権が高めているというものです。

 中には今年に入って10月まで、南北軍事境界線付近で韓国が3200回あまりの拡声器放送を行ったというものや、韓国軍の艦艇が1270余回も北側の領海を侵犯したという主張もありました。こうした事実は韓国側では確認できず、韓国政府による北朝鮮の軍事合意違反に合わせた偽りの主張とみられます。

 また、来年3月頃から南北間の緊張を高める「導火線」になると本ニュースレターで繰り返し取り上げてきたビラ散布についての言及もありました。軍事境界線の北側地域へのドローン投入とビラ散布を「戦争挑発に該当する厳重な軍事的敵対行為」と位置づけたのです。

 こうした状況を挙げながら「既に朝鮮半島で物理的な激突と戦争は、その可能性の有無ではない、いつの時点であるかが問題」だと軍事的衝突を既定事実とする見解を示しました。

 この部分は韓国メディアにも多く引用されました。

 軍事論評院は特段権威のある機関でないため、今回の論評を重く見る必要はないという指摘もあります。また、韓国メディアに引用されることを見越して、来年4月の総選挙に介入しようという北朝鮮側の目論見もあるでしょう。

 しかしながら、こうした脅しを「はいはいそうですか」と受け止める訳にもいきません。総じてイヤな雰囲気、です。

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◎ショートニュース

(1)韓国が「北朝鮮の技術とは比べものにならない水準」の人工衛星を発射

 2日午前3時過ぎ(韓国時間)に、韓国が独自開発した偵察衛星が米国で打ち上げられ、軌道に乗りました。さっそく韓国メディアでは11月21日に打ち上げられた北朝鮮の偵察衛星との比較が行われていますが、「北韓とは比べものにならない」という総評です。

 『聯合ニュース』によると韓国の衛星は電子光学(EO)および赤外線(IR)装備を搭載したもので、撮影写真の解像度は30センチ。北朝鮮の『マンリギョン―1』型衛星は同1~5メートル(3メートル)とされており、その差は歴然としているそうです。なお韓国は今後、25年まで追加で4機の衛星を打ち上げる予定です。

米スペースX社のファルコン9に載せられて打ち上げられた韓国の偵察衛星。南北は競争です。韓国国防部提供。

米スペースX社のファルコン9に載せられて打ち上げられた韓国の偵察衛星。南北は競争です。韓国国防部提供。

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(2)98歳「元北朝鮮女性スパイ」が再審請求

 朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた4年後の1957年、韓国に派遣された北朝鮮の‘女性工作員’オム・ジュブンさんが今月6日、韓国最高裁に再審申し立て書を提出しました。

 韓国の進歩紙『ハンギョレ』が7日に独自に報じたところによると、1925年に今は韓国側の生まれのオムさんは解放後の46年に朝鮮共産党に入党した社会主義者で、やはり活動家の夫と共に朝鮮戦争勃発後、北朝鮮に渡ったそうです。

 その後1957年に工作員として韓国へと「派遣」されましたが、韓国は当時、世界最貧国。定着先に選んだ釜山市では生活していくのに精一杯で、偽装のために連れてきた孤児と共に苦労したそうです。そして北朝鮮から持ち込んだドルを交換する際、海兵隊に逮捕されたとオムさんは振り返っています。

 捜査過程でオムさんは拷問を受けましたが、周囲に住んでいた韓国の住民も逮捕され拷問と共に自白を強制さました。オムさんは一審、二審で死刑判決を受けるも60年8月に無期懲役刑が確定しました。

 記事によると今回の再審請求は、▲民間人に対する捜査権のない国軍捜査機関がオムさんを捜査・逮捕したこと、▲長時間不法逮捕・拘禁状態で自白が行われたこと、▲南派工作員であるが刑法上のスパイ罪行為をしていないといった点を根拠に、「オムさんのスパイ行為に対する有罪判決は取り消されなければならない」というものです。

 オムさんは「自身を工作員とは知らず共に逮捕され収監された韓国市民の名誉も回復すべき」と訴えています。同紙によると自身をスパイと認めた人物が再審請求をするのは初めてということです。

 南北分断からもうすぐ80年。分断がいかに多くの人の人生を狂わせたのかを示す事例と言えそうです。全文はこちらから読めます(日本語)。

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(3)3年前に起きた北朝鮮による韓国公務員射殺事件の監査終わる、与野党が正面衝突

 20年9月22日に西海(黄海)の北朝鮮領海内で起きた、北朝鮮軍による韓国公務員の射殺事件。射殺後に遺体を焼却したことが明らかになり、当時、韓国で大きく報道されました。

 政府は事件直後、被害者のイ・デジュン氏が「越北」、つまりみずから北朝鮮へと渡る過程で起きた事件と発表しましたが、尹政権発足後の22年6月に「越北を認める証拠を見付けられなかった」という捜査結果を発表しました。

 これを受け、監査院は事件の真実を究明するために事件の捜査に関わった国防部や海上警察など9つの機関を対象に監査を行い、その結果の要約本が7日、発表されました。報告書自体は国家機密のため未公開となっています。

 結論は国家安保室、海上警察、統一部、国防部などの関係機関が、

「イ氏が北朝鮮の海域で生存していた当時」には、状況を報告・伝播させずに勤務を終え、北朝鮮向けの通達文も送らないなど関連する規定とマニュアルに従った身辺保護および救護措置を検討・履行しなかった

「イ氏が殺害され焼却された事実を認知した後」には、事件を隠ぺいするために秘密資料を削除し、イ氏が生きているかのように見せるために資料を作成・配布し、当初の失踪地点での捜索を続けた

「イ氏が亡くなったとメディアが報じた後」には、イ氏が自ら北朝鮮に渡ったと結論づけるために、軍の諜報にも無かった不正確な事実を根拠に、自ら越北したと不当に判断・発表し、未確認の事実や隠ぺい・歪曲した内容を根拠に中間捜査結果を発表した、

と結論付けました。

 ひと言で、当時の文在寅政権のひどい仕事ぶりが明らかになった訳ですが、監査院はこうした調査結果を基に22年10月に国家安保室など5つの機関の総勢20人を検察に捜査するよう要請しています。

事件当時の状況を表した地図。中間の点線がNLL(北方限界線)で、南北を分けるもの。小延坪島①で失踪したイ氏は38キロ離れた④地点で北朝鮮軍により射殺・焼却された。

事件当時の状況を表した地図。中間の点線がNLL(北方限界線)で、南北を分けるもの。小延坪島①で失踪したイ氏は38キロ離れた④地点で北朝鮮軍により射殺・焼却された。

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 上記の3つの項目は監査院の報告書の冒頭にある要約を翻訳したものですが、14ページにわたる報告書を見ると、国家安保室が中心となり、その指示に沿って国防部や合同参謀本部、海上警察などが一糸乱れず事件を縮小・隠ぺいしようとしていたことが分かります。

 この監査結果を受け8日、与党・国民の力は当時の文在寅政権を強く批判しました。「過失や不可抗力ではなく怠慢だ」というもので、「国家の責務を放棄したもの」と責め立てました。

 さらに「この事件の最終責任者は誰なのか」と問題を提起し、文在寅大統領への「聖域なき調査」を要求しました。さらに当時の与党・共に民主党には謝罪を要求しました。

 一方、共に民主党は文政権出身の議員を中心に「監査院が政権の命令に従い結論ありきの調査をしている」と主張し、結果を受け入れない構えを見せています。これは昨年にも見られたものです。

 実は私も当時、この事件について取材したのですが、信頼できる筋から「韓国側はイ氏の失踪から発見、射殺まですべての状況を逐一追跡していた。救助されると思いきや射殺されるという予想外の動きがあった」と聞いていました。

 その背景には北朝鮮が新型コロナの流入に神経質になっていたこと、そして現場(海上)の責任者は救助の方針でいたものの、上部(陸地)の上司が責任問題になることを危惧し射殺を命じたというものでした。

 確認が取れないため記事にはしなかったのですが、いつか正確な事実が明らかになることを願っています。

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(4)北朝鮮も少子化を懸念?金正恩氏が「オモニ大会」に出席

 朝鮮中央通信によると3日、金正恩氏が平壌で開かれた「全国オモニ(母)大会」に出席しました。この日の開会辞の中で金正恩氏は社会の秩序を維持する上で女性が果たす役割を強調しました。

 さらに「出生率の減少を防ぎ、子どもの保育と教養をしっかり行う問題もすべてオモニたちと力を合わせ解決すべき、私たち家族みなの問題」と出生率について言及しました。

 このように11年ぶりの開催となったオモニ大会の背景には、韓国と同様(ニュースレター第20号参照)に出生率の低下に悩む北朝鮮の事情があると『聯合ニュース』が引用した統一研究院の専門家は見立てています。

 なお、韓国の統計庁によると北朝鮮の合計出生率は1.79人です。韓国は0.78人(22年)でした。

「全国オモニ大会」に参加する金正恩氏。朝鮮中央通信より。

「全国オモニ大会」に参加する金正恩氏。朝鮮中央通信より。

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(5)非核化が先?統一が先?大学生への世論調査結果は「前者」

 韓国外交部は5日、今年10月8日から21日にかけて、韓国の大学生・大学院生500人を対象に行った「統一外交認識調査」の結果を発表しました。 

 これによると、朝鮮半島の統一のために最も必要なものとして「北韓の完全な非核化」(28.2%)、「北韓人権の改善」(9.4%)などが選ばれたそうです。

 また、統一と北朝鮮の核問題の関連性については、「北韓の核問題が解決されてこそ統一できる」(63.2%)、「統一してこそ北韓の核問題が解決する」(18.6%)となりました。

 同じように統一と北朝鮮人権問題の関連性については「北韓の人権が改善されてこそ統一できる」(46%)、「統一してこそ北韓の人権が改善される」(31%)となりました。

 納得できる結果と言えそうです。

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◎あとがきに代えて:VRで何を見せるか

 今号もゆっくりとした発行になりました。グリニッジ標準時には間に合わせようと思ったのですが無理でした。それでも今あるニュースの中で大事なものを選んだつもりです。

 冒頭のVR教育の記事はいかがでしたか?私は「どうせ仮想現実なら統一した時の喜びでも体験させてやれ」と思うのですが、人権状況改善の先に統一があるならば、そうはいかないのでしょう。

 朝鮮半島情勢はもはや解けない知恵の輪になっています。南北関係の上位に冷戦構造が存在するため、韓国が単独できることはほとんどありません。返す返す文在寅政権時が悔やまれますが、もはやそうも言っていられません。とにかく朝鮮半島で武力衝突が起きないようにすること、まずはここからです。

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