[31号] コラム「金か、命か」、イ・ソンギュン自死事件決定版ドキュメンタリー紹介、南北交流本の書評など 全7トピック

毎週金曜日恒例のジャーナル形式のニュースレターをお送りいたします。
徐台教(ソ・テギョ) 2024.01.27
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 サポートメンバーの皆さん、アンニョンハセヨ。韓国の首都圏は先週末から体感気温がマイナス20度近い極寒の日々が続きましたが、ようやくピークを越えたようです。そんな中でも道端の木蓮はつぼみを僅かずつふくらませています。私もまた、春に向けてどんなつぼみをふくらませようかと思いを馳せてみます。

 今号はいつものようにコラム、ドキュメンタリー紹介、書籍、映画の他にショートニュースを用意しました。ドキュメンタリーは12月に亡くなった俳優・李善均(イ・ソンギュン)さんの話です。痛ましい自死からひと月も経たないのにあまりにも動きの早い韓国社会の中ですでに風化しつつあるように感じます。

 目次は以下の通りです。

  • 巻頭コラム:金か、命か

  • ドキュメンタリー紹介:『70日、故イ・ソンギュン俳優の最後の時間』

  • 読書体験:『今の私たちが次の私たちへ』

  • ショートニュース:尹錫悦vs韓東勲など3本

  • カルチャー:映画『オッペンハイマー』〜知的な過保護からの脱却〜

  • あとがきに代えて

***

◎巻頭コラム:金か、命か

 韓国にはいくつもの不名誉な世界一が存在する。老人層の貧困率、自殺率、男女間の所得格差、出生率など挙げればきりがない。中でも、韓国社会を象徴するものとして労働者の死亡事故の多さがある。

 韓国政府が昨年12月に発表した22年の産業災害(労働災害と同義)統計によると年間の労働災害死傷者数は13万348人にのぼり、この内2,223人が亡くなっている。内訳は事故で874人、疾病で1,349人だ。ちなみに、日本における同じ22年の労働災害死傷者数は13万2,355人、死亡者は774人である。日本の人口は韓国の2.5倍であることを考えると、いかに韓国の死傷者の数が多いのか分かる。

 さらに死亡者の数が17年1,952人、18年は2,142人であることも衝撃だ。減るどころか増えているのだ。韓国の産業災害死亡率はOECD(経済協力開発機構)諸国のうち、トルコやメキシコと並び世界最悪の水準だ。韓国政府はそんな統計をポップな絵柄であっけらかんと説明している。

 この事態を改善しようと立ち上がったのは、メインストリームの政治家や大企業でもメディアでもない、被害者の家族たちだった。特に大きなきっかけとなったのが18年12月11日に忠清南道(チュンチョンナムド)泰安(テアン)郡の国営テアン火力発電所で起きたキム・ヨンギュンさんの死亡事故だった。

 石炭運送用のベルトコンベアに挟まれ命を落とした24歳のキムさんの遺体は、発見されるまでの約4時間のあいだ放置されたままだった。キムさんは二人一組と規則で定められた作業を一人で任され、夜6時から翌朝7時半まで休憩時間もないまま働かされ、午前3時20分過ぎに事故に遭った。同僚が緊急停止スイッチを作動させれば防げたはずのキムさんの死。その後、同発電所では2010年から8年間、12人の労働者が墜落など様々な事故で亡くなっていたことが分かった。

 実体を知ったキムさんの母キム・ミスクさんは「二度と息子のような事故が起きてはならない」と闘士となった。労働災害が起きる場合、下請けと共に事業主企業(元請け)への罰金や懲罰的損害賠償を課し、刑事責任を問う『重大災害(企業)処罰法』の成立を訴えたのだ。

 企業票を失うことを恐れた巨大両党(共に民主党、国民の力)の消極的な態度に対し、20年には国会前で29日間のハンストを敢行し命がけで闘った。その結果、法律は成立し22年1月にようやく施行された。ハンスト当時、私もキム・ミスクさんを取材したことがある。静かな、しかし鬼気迫る迫力は忘れられない。

 だが同法の施行には抜け穴が設けられていた。2年の猶予期間を設け「50人以下の企業」を対象から除外したのだ。労働災害事故の背景に、大企業や公共企業が事故の危険が高い建設や工場施設管理といった仕事を下請けに丸投げする「危険の外注化」があることは広く知られている。それにもかかわらず最も危険な現場は無視された。

 理由は経営者にとって過酷すぎる法律だという経済界の懸念だった。安易に下請けに出せなくなり仕事が回らなくなるという金儲けの論理だ。さらに慢性的な人手不足に悩み安全管理のための人員を確保できない現場の苦悩もあった。こうして22年、全体の労働災害死亡者の61.7%が「50人以下の企業」の現場で起き、事故で死亡した労働者の中では約80.9%を占めた。防げたかもしれない死だった。

 そんな猶予期間が今年1月27日に終わりを迎え、同法の全面施行が始まることになっていた。事故の多い建設業をはじめすべての業種を含める場合、50人以下の企業は全国に83万あり、所属する労働者は800万人にのぼるという。全国の中小企業団体の会長は「大きな不安と共に事業をしなければならない」と言い、現場からは政府の支援を求める声が上がっていた。 

 国会で与党・国民の力は「猶予期間終了の猶予」を主張する一方、最大野党・共に民主党は産業安全保険庁の新設し対応すべきとした。いずれも票田である経済界の視線を多分に意識したものだ。そこに毎日平均7人も亡くなる労働者への配慮は無かった。

 国会での議論が平行線をたどる中、従来の取り決め通り27日からの全面施行が決まった。これを受け26日、尹錫悦大統領は「中小企業の困難と民生経済を度外視した野党の無責任な行為に強力な遺憾を表明する」と述べた。

 韓国政治の主流派にとって労働者の生命など眼中にないことが改めて分かる発言だった。労働者が置かれた状況は全泰壱(チョン・テイル)が54年前に「われわれは機械ではない!」と叫び焼身自殺した時からそう変わっていないのかもしれない。「金か、命か」ではなく「金のみ」の大韓民国である。

産業災害(労働災害)の統計をポップに説明する政府のバナー。政府組織・安全保健公団より引用。

産業災害(労働災害)の統計をポップに説明する政府のバナー。政府組織・安全保健公団より引用。

***

◎ドキュメンタリー紹介:『70日、故イ・ソンギュン俳優の最後の時間』(MBC、PD手帖)

 昨年12月27日に自死した韓国のトップ俳優・李善均(イ・ソンギュン、享年48)さん。彼の死は刑法で禁じられている被疑事実公表を行った警察と、それを無分別に報じたマスコミによる「社会的殺人」と見なされ当初から見なされてきました。

 そして1月16日、一連の報道の決定版とも言える番組が放映されました。長い歴史を持つ公営放送MBCの名物調査報道番組『PD手帖』による『70日、故李善均俳優の最後の時間』がそれで、番組の中ではこれまで明らかにされてこなかったいくつかの新事実が公開されました。番組の展開に沿ってまとめていきます。

番組タイトル。同番組をキャプチャ。

番組タイトル。同番組をキャプチャ。

 ・事件のはじまり

 まず「李善均が麻薬を使用した」という事件がどうやって水面上に浮上したかについてです。これはある男性A氏による通報から始まりました。

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