衝撃のR&D予算16%削減、尹政権の高官人事に赤信号、迫るメディアへの圧力、短信5本など|第5号

韓国社会、韓国政治を伝える今号では合わせて9本の記事を配信しています。無料で全文お読みいただけるのが今号が最後となります。
徐台教(ソ・テギョ) 2023.10.10
誰でも

 皆さんアンニョンハセヨ。早いものでニュースレターも第5号となりました。前号(10月6日)で有料化のお知らせをしたところ、さっそく幾人もの方々がサポートメンバー(有料会員)として加入してくださいました。安定的な運営にはまだまだ遠いですが、とても嬉しい滑り出しとなりました。全文無料での配信は今号までとなります。ぜひお読みいただき、周囲の方々にお勧めください。

 火曜日(もうすぐ水曜日になりそうですが)の今号は韓国社会、韓国政治を扱っていきます。

 目次は以下の通りです。

  • 韓国社会(1):来年度予算は緊縮編成、R&D予算削減に上がる悲鳴と世界的な関心

  • 韓国社会(2):ポータルサイトで「中国支持」の世論操作?利用したい政府の魂胆も

  • 韓国政治(1):尹政権の高官人事は「失敗続き」

  • 韓国政治(2):尹錫悦に会ってもらえない李在明

  • 三行ニュース改めショートニュース:『日韓共同宣言』25周年/ソウル江西区長選挙は最大野党・共に民主党が優勢/『ハンギョレ』コラム「尹錫悦政府はなぜどんどん極右化するのか」/OECD加盟国中で最も高い老人の自殺率/「多文化家庭」学生18万人に支援を

  • あとがきに代えて:囲い込みの韓国政治

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◎韓国社会(1):来年度予算は緊縮編成、R&D予算削減に上がる悲鳴と世界的な関心

韓国の来年度予算案は656.9兆ウォンで、前年日18.2兆ウォン(2.8%)のプラスとなっています。現在のレートで換算すると約72兆円となります(日本は2023年に114兆円)。

増額とはいえ、支出増加率は2.8%。これは文在寅政権(17年5月~22年5月)下での年平均増加率8.7%よりも大幅に下がっています。

韓国の来年度予算を説明するバナー。企画財政部サイトより引用。

韓国の来年度予算を説明するバナー。企画財政部サイトより引用。

これについて尹錫悦大統領は「わが政府は前政権がどっぷりとはまっていた『財政万能主義』を断乎として排撃し、健全な財政基調へと確実に転換した」としています。

過激な表現ですが「あらゆる事業を原点から再検討し、財政の漏水を取り除く」という表現からも分かるように、財政の見直しを行ったということです。新型コロナへの支援などで増加した国家債務の増加幅の引き下げなども視野に入れたものです。

しかし結果としてこれは、分野によっては緊縮編成となります。特にそのあおりを大きく受けているのがR&D(研究開発)予算削減です。

韓国政府の24年度予算案によると、R&D予算は25兆9000億ウォン(約2兆8500億円)と、23年度の31兆1000億ウォン(約3兆4200億円)から実に16.7%の減少となりました。

韓国メディアによると政府のR&D予算が削減されたのは実に33年ぶりとのことで、いわゆるIMF危機と呼ばれる1997年の金融危機の際にもなかった出来事とされます。

詳細な内訳は公開されていないのですが、最大野党・共に民主党はR&D予算の削減額は全体で6.5兆ウォン(約7,100億円)に上り、1620の事業のうち67%にあたる1076の事業で減額されると主張しています。

財政健全化の他に、削減の理由の一つと見られているのが大統領の認識です。尹大統領は7月3日、新任の次官たちに任命状を授与する場で「わが政府は反カルテル政府」と突如明かしました。そして「憲法精神を壊す利権カルテルと遠慮せずに戦ってほしい」と注文したのです。

尹大統領は、業界内で何の審査もなく国家予算をやり取りする不正が行われていると見なし、これを正すというのです。「山分け式予算の再検討」という趣旨の発言もありました。

『12大国家戦略技術』における来年度予算の増減幅。パク・ワンジュ議員室提供。

『12大国家戦略技術』における来年度予算の増減幅。パク・ワンジュ議員室提供。

いくつか例を挙げると、韓国の主力産業と言える半導体分野をはじめ、政府が『12大国家戦略技術』と命名した科学技術分野で軒並みマイナスとなりました。

上記表は最上段左から順に、▲半導体・ディプレイ、▲水素、▲陽子、▲人工知能、▲次世代原子力、▲先端バイオ、▲次世代通信、▲宇宙航空・海洋、▲2次電池、▲先端ロボット、▲先端モビリティ、▲サイバー保安となっていますが、次世代原子力以外はすべて減額なのが分かります(単位:億ウォン)

さらに、各地に7か所建設予定の半導体や電池など先端産業特化団地(工業団地)の予算では、24年度に必要なインフラ予算1兆3,000億ウォン(約1,400億円)のうち、国庫支援はわずか1.2%に過ぎません。

「半導体超強大国」というビジョンを掲げる尹政権は、こうした動きに対し「事業が具体的に確定したら支援する」と明かしているとのことです。この内容を報じた『中央日報』は「競争国は破格のインセンティブを提示し企業を誘致している」としながら、政府に前倒しの対応を要求しています。

また、学問と技術の融合を目指す融合研究事業を司る国家科学技術研究会の予算も約35%(820億→530億ウォン)削減されました。

一方、尹政権が力を入れている国防分野でも削減されました。防衛産業庁、国防部所管のR&D予算は23年度の5兆1466億ウォン(約5600億円)から8.6%減の4兆7028億(約5200億円)ウォンとなっています。

こんなR&D予算の削減は、国際的にも話題になりました。

『ネイチャー』は5日、「韓国の科学者たちがR&D予算の削減に強く抗議している」という記事を掲載しました。記事中には今回の決定を理由について「政府のR&Dシステムをしっかりとしたものにするため」とする韓国政府の主張も引用されています。

『ネイチャー(nature)』に掲載された記事。同サイトをキャプチャ。

『ネイチャー(nature)』に掲載された記事。同サイトをキャプチャ。

実は似たような記事が先月にもありました。

『ネイチャー』に並ぶ権威を持つ『サイエンス』紙でもイスラエルに次ぐ世界2位のGDP比4.9%のR&D予算を持つ韓国の変化を取り上げました。予算の削減が若手研究者への打撃をもたらすという韓国の科学者の発言を取り上げました。世界的な関心の高さがうかがえます。

『サイエンス(science)』紙の記事。同サイトをキャプチャ。

『サイエンス(science)』紙の記事。同サイトをキャプチャ。

予算はこれから国会で審議されますが、最大野党・共に民主党は「R&D予算は国家の未来のための投資」とし、削減された分を復元すると明かしています。

***

予算についてもう少しお話ししてみます。

他には外交部が領土主権守護事業のR&D予算を約20%削減したという記事もありました。これには『独島(竹島)』をはじめとする領土を守るための法的・歴史的な論理開発を目的とする学術研究費などが含まれるといいます。

R&D以外の予算の増減にも意外な(?)内容が多いです。

例えば歴史認識問題において最も規模の大きい研究・教育組織の一つ『東北アジア歴史財団』の予算も70%(20億→5億ウォン)が削減されるそうです。

こうした動きには、従来の尹政権の譲歩的な対日外交姿勢と結びつけ「日本に配慮しているためではないか」という批判も一部であります。

さらに「デジタルディバイド」、つまり世代や環境などにより生まれるデジタル格差を埋めるための予算も、52%(895億→466億ウォン)削減されました。

また、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)からの生物テロに対応するワクチン予算(疾病管理庁所管)も約60%削減されました。

大学論文DBを利用するための大学への補助金も始めて減額となりました。毎年50~60億ウォンの増額がありましたが、来年度は6億ウォンの減額となり、学界への影響や地方大学と予算に余裕のあるソウルの大学間の格差拡大が懸念されています(韓国日報)。

話題になりそうな予算では、行政安全部傘下の『日帝強制動員被害者支援財団(以下、支援財団)』が、強制動員被害者の中で「第三者弁済」を受け入れない方達と裁判をたたかうための予算4億2000万ウォン(約4630万円)を計上していたことが明らかになりました(ハンギョレ)。

ちなみに、今日10日から韓国では国会が行政をチェックする国政監査が始まったことで、各国会議員室が予算削減の内容を調査し、競って公表しています。

今後も興味深いレポートがいくつも出てくると思うので、また紹介いたします。

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◎韓国社会(2):ポータルサイトで「中国支持」の世論操作?利用したい政府の魂胆も

10月1日、アジア大会の準々決勝で韓国と中国が競技を繰り広げる中、これを応援するためにポータルサイトに用意されたページで、中国を応援する人々が90%を超える出来事がありました。

こんな「事件」が起きたのはポータルサイト『Daum(タウム)』。占有率では1位の『NAVER』とは大きく差がある2、3位圏のサイトですが、韓国での知名度では『NAVER』と双璧と呼べるほどです。

同サイトでは、女子サッカー準々決勝の北朝鮮戦でも北朝鮮75%、香港戦でも香港91%という数値が出ていました。なお、ログインなしで「応援」クリックができるシステムでした。

この不自然な結果を前に韓国政府からは「規制を強めるべき」という声が上がっています。

4日、韓悳洙(ハン・ドクス)総理は政府のいくつかの部署を横断するタスクフォース結成を指示しました。なお、こうした不自然なクリックは海外から行われたものでした。約50%がオランダ、約30%が日本を経由したものだったそうです。『Daum』側も海外からのマクロ攻撃があったと発表しています。

マクロ攻撃を理由に、「クリックで応援」サービスの中断を知らせる『Daum』のページ。

マクロ攻撃を理由に、「クリックで応援」サービスの中断を知らせる『Daum』のページ。

しかし、注目すべきは政府や大統領室の「入れ込んだ」態度でした。

韓悳洙総理は今回の事態を「フェイクニュースは民主主義の根幹を揺るがす深刻な社会的な災難」とし、放送と通信を監督する大統領直属機関の放送通信委員会の委員長は「こういう動きを放置すると国紀紊乱になる」と最大限の警戒を呼びかけました。

‘国紀紊乱’とは聞き慣れない言葉でしょうが、国の秩序が乱れるという意味で、大災害のようなニュアンスで使われます。

背景には、2017年の大統領選挙における世論操作がありました。当時野党だった共に民主党側がマクロプログラムを使い文在寅候補に有利な世論を作ったという疑惑で、これに関わった慶尚南道の金慶洙(キム・ギョンス)知事が逮捕され有罪判決を受けました。

ですが、本ニュースレターでも紹介したように、「フェイクニュース撲滅」を掲げる尹政権が、最近とみにネットニュースへの審議回数を増やし、ポータルサイトへの圧力を強めている点と一緒に考える場合、見方が変わります。政府は今回の事態もまた、ポータルサイト規制に利用しようとするのではないのかということです。

いみじくも6日、放送通信審議委員会の幹部級の実務者11人が実名で政府の動きに憂慮を表明する意見書を公開しました。より慎重なプロセスと各界からの意見の収斂が必要というものでした。

このように、過去に軍事独裁政権が20年以上続いた韓国社会では、言論メディアの独立性を何よりも重要視する声が、今も根強く残っています。さらに民主化以降も、保守政権下で言論メディアへの圧力が強まる傾向が顕著に認められるため、言論界は対立の最前線となっています。

一方で、乱立するインターネットメディアや無料で全ての記事が読めるというネットの風土などから質の低い記事の増加も問題になっており、しばらくは激しいやり取りが続きそうです。

***

◎韓国政治(1):尹政権の高官人事は「失敗続き」

韓国にあって日本にない制度に『人事聴聞会』があります。国務委員と呼ばれる各部の長官をはじめ、国務総理や憲法裁判所裁判官、検察総長や韓国銀行総裁など、選挙で選ばれないいわゆる「任命職」の高官の資質を国会がチェックするものです。2000年に導入され、盧武鉉政権時代(03年2月~08年2月)に本格的に整備されました。

財産の内容やその形成方法に始まり、キャリア検査、職務への所信など幅広い内容を聞かれ、ほとんどの人事聴聞会がテレビやネットで生中継されることから、対象者にとっては恐怖の時間となります。

最近、特に注目された4人の人事聴聞会がありました。いずれも「なぜこんな人が?」という人選であったため、尹政権の人事抜擢システムに深刻な問題があるのではないかという批判の声が高まっています。簡単に見ていきます。

まず、国防部長官候補の申源湜(シン・ウォンシク、65)氏です。

陸軍中将出身で2020年に初当選した与党議員です。国防の専門家としての抜擢でしたが、過去の「暴言」が取り沙汰されました。

19年には極右団体の集会でマイクを握り「2016年の『ろうそくデモ』は反逆だ!反逆の文在寅の首を狩るのは時間の問題だ。気持ちよく私と踊りながらやりましょう!向こうが(大統領の座から)降りてこないならばこちらから(行こう)」と発言しました。

また、当時の文在寅大統領を「金正恩の幸せのためだけに生きるスパイ」などと呼びました。さらに別の席では朴正熙(パク・チョンヒ)のクーデター(61年5月16日)を「革命」と評価するなど、偏った歴史観、社会観が垣間見えました。

こんなエキセントリックな人に国防部長官が務まるのかと批判が集まるや、聴聞会の席で遺憾を表明しました。

次に、文化体育観光部長官候補の柳仁村(ユ・インチョン、72)氏です。

日本でいう文部科学省の一部にあたる省庁です。著名なタレントで俳優の同氏は李明博(イ・ミョンバク)政権時代の08年2月から09年1月まで同部の長官を務めた前歴があります。当時、衆人環視の前で記者に暴言を吐いたことが再び掘り起こされる一方で、政権に批判的な芸能界の人物82人をリスト化し不利益を与えた出来事に関与したとして、長官にふさわしくないという意見が出ました。柳氏本人は最後まで関与を否定し「関与が明らか」という野党議員の間で論戦となりました。

10月10日、国務会議を主宰する尹錫悦大統領。すぐ後のメガネの人物が韓東勲法務部長官だ。大統領室提供。

10月10日、国務会議を主宰する尹錫悦大統領。すぐ後のメガネの人物が韓東勲法務部長官だ。大統領室提供。

三人目は女性家族部長官候補の金杏(キム・ヘン、64)氏です。過去に朴槿惠(パク・クネ)政権で報道官を務めたジャーナリスト出身の人物です。

三人の候補の中でも最も多くの疑惑や不適格事由が提起されましたが、特に12年の「妊娠を望まなくても貧しかったり男性が逃げたり、強姦されたりとどんな場合にも女性が子どもを産んだ時に、経済的な支援以外にも私たち皆があたたかく迎え入れるトレランス(寛容さ)があれば女性がどうやってでも育てることができる」という発言が大きく取り上げられました。

女性の人権を無視した発言として、女性家族部長官として全くの不適格であると野党から一斉に批判されました。また、経営していたインターネットメディアに性差別的な記事を執筆していた点も同様でした。

さらに、指名時に「女性家族部をドラマチックにexitさせる」と言い、長官として任務につく部署を無くす旨を明確にしたことも大きな批判を浴びました。尹政権の基調とはいえ、同部の目的はあくまで女性や青少年の福祉の増大です。正直、めちゃくちゃでした。

この3人の長官候補のうち、申源湜と柳仁村の両氏は7日に尹錫悦大統領により任命されました。実はこの人事聴聞会という制度は、国会が任命に反対しても、大統領が任命を強行できるようになっており、尹政権下で18人目の任命強行となりました。

一方、金杏氏は人事聴聞会の途中で席を外しそのまま行方不明になるという前代未聞の事件を起こしたことで、任命が不透明になっています。

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最後に李均龍(イ・ギュニョン、60)氏です。

大法院長(最高裁判所長)という重責を担えるかが問われていました。8月に使命された当時は、改革派という評もありましたが、判事として性暴力加害者に不透明な理由で何度か減刑したことが取り沙汰され、不動産投機や資産公開を正確に行わなかったという不利な疑惑が持ちあがりました。

そしてついに6日、李候補の任命同意案は国会で否決されました。大法院長は他の長官とは異なり、国会に決定権があります。党議拘束をかけた野党・共に民主党が大統領の人事に対し明確に「NO」突きつけた形になりました。

大統領が推薦する大法院長が任命されなかったのは35年ぶり2度目という珍しい出来事でした。大統領室は新たな候補探しに入りました。

こうして現在、司法府のトップが空席になっている上に、来月には憲法裁判所長の任期も満了となります。いずれも大統領が推薦しますが、任命には国会で過半数を占める共に民主党の賛成が不可欠で、同党の党略が大きく作用します。

見てきたように、4人の候補のうち、2人は強引に任命され、1人は否決、おそらく金杏候補も任命されない見通しです。

こんな人事の失敗はそのまま、尹政権の人事チェックシステムへの疑問となっています。

尹大統領は就任後、高官の「身体検査」を担当する大統領室内の部署(民情首席室)を廃止し、その機能を法務部に移しましたが、まるで意味を成していないように見え、尹大統領の最側近の一人とされる韓東勲(ハン・ドンフン)法務部長官の能力に疑問を呈する声も上がっています。

他方、尹大統領がとかく李明博政権時代の人材を重用しようとすることに対する問題提起もあります。てっきり引退していたと思っていた人物が長官に返り咲くため、タイムマシンに例え「10年若返ったようだ」という冗談が国会で聞かれるほどです。

背景には尹大統領に政治家としての経験がないという点があります。このため、自ずと人材プールが狭くなる他にないということです。

また、尹大統領が国民の力の大統領候補になる過程で親李明博派の支援があり、それに応えるために李政権時代の人材を登用せざるを得ないという噂もあります。

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韓国政治(2):尹錫悦に会ってもらえない李在明

先月26日、焦眉の関心事であった逮捕令状が棄却され、政治家としての勢いを取り戻したかに見える最大野党・共に民主党の李在明代表ですが、未だに尹大統領には会ってもらえません。

韓国で大統領と野党党首の会談は『領袖会談』と呼ばれます。この名前は過去、大統領が与党総裁を兼ねていた当時の名残ですが、いずれにせよ、民主化以降の大統領が野党党首と会わないことはありませんでした。『聯合ニュース』によると、過去の大統領はどんなに長くとも、就任後4か月以内に領袖会談を行っていたといいます。

しかし李在明代表は無視され続けています。表向きは「尹大統領は与党の代表ではなく、国家の大統領だ」という理由ですが、「被疑者である李在明氏に会うのは不適切」というのが本音と言われています。

9日、江西区長選挙の応援演説を行う李在明代表。この日、ハンスト後の治療のため入院していた病院から退院した。筆者撮影。

9日、江西区長選挙の応援演説を行う李在明代表。この日、ハンスト後の治療のため入院していた病院から退院した。筆者撮影。

つまり、尹大統領が李在明氏に会うことで、いかにも李氏が潔白な人物であるかのような印象を与えたくないというものです。

そうでなくとも検察ひと筋で生きてきた尹大統領の世界観は「犯罪者か否か」で成り立っているという専らの評判です。北朝鮮の金正恩委員長に会おうとしないのも同様の理由によるものとする見方もある程です。

このため、既に被疑者として裁判に臨み、これからも長く裁判が続くであろう李在明氏は、今後も尹大統領に会えないと見られます。一方で、「まずは与野党党首間で会談を行うべき」という声もあります。これは李代表が避けているフシがあります。

こんな尹大統領の態度が正しいのかどうか、異論はあるでしょう。私は韓国政治において、進歩と保守、与野党という陣営間の対話が失われていることを問題と思っているため、一度は会うべきと考えています。

***

◎三行ニュース改めショートニュース

ここからは、気になったニュースを簡単に整理していきます。前号までは三行ニュースという名前だったのですが、なんとなく該当ニュースに失礼だなと思いまして、名称を改めました。

・日韓共同宣言25周年

8日が小渕恵三首相と金大中大統領による『日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ―』から25周年でした。日本では朝日新聞などで大きな特集が組まれていましたが、韓国でも同様に、いくつかのメディアでその間の足跡をたどる記事が出ていました。しかし岸田首相と同様に、尹大統領の特別なコメントはありませんでした。尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日韓国大使が先月、「来年には新たな首脳宣言が必要」と発言していました。

・ソウル江西区長選挙は最大野党・共に民主党が優勢

与党所属の現職区長が、過去の犯罪に対する有罪判決が確定し収監されるも、それをわずか3か月で尹大統領が特赦し、同じ人物がふたたび補欠選挙に臨むという異例の展開のソウル江西区長選挙。10月6日と7日に行われた事前投票率は22.64%と、補欠選挙としては異例の高投票率となりました。

これに対し、与党・国民の力は「野党を審判する民心を反映」、野党・共に民主党は「尹政権を審判するもの」と自身の都合の良いように判断しているようですが、「事前投票制度が根付いたことが大きい」という専門家の意見も韓国メディアには紹介されていました。進歩系日刊紙の『京郷新聞』は社説で「民生の危機、政治の失踪をこれ以上傍観できないという市民の熱望の噴出」と読み解きました。

ソウルの片隅の選挙にもかかわらず、この選挙は尹大統領と李在明代表の代理戦争の様相を呈しており、両党ともに総力戦に近い形で臨んでいます。買った方は来年4月の総選挙に勢いが付き、10%ポイント差が付くようですと、党指導部の責任が問われることになるでしょう。世論調査では共に民主党の候補が優勢です。投開票は11日に行われます。

・『ハンギョレ』コラム、「尹錫悦政府はなぜどんどん極右化するのか」

なかなかキャッチーなタイトルで、クリックせざるを得ませんでした。まだ日本語には翻訳されていないようです。書いたのは中央大学(韓国)のシン・ヒョンウク社会学部教授です。

まず、ある政権を極右と判断する論拠として、▲権力者が公的な発言で極右論理を伝播する、▲極右性向の人物たちが国家機関の要職を占める、▲政府が極右的な原理に立脚し政策を推し進める、の三つを提示し、尹政権はこれに相当程度当てはまるとします。

そしてこの現象を、尹政権の「時代錯誤的な喜劇」ではなく、「民主化以後、数十年間おこなわれている巨大なバックラッシュの一場面である」と位置づけました。

特に現状は『ろうそくデモ』と『朴槿惠弾劾』以降のバックラッシュで、「反北」「反左派」「反福祉」「反労働」「反女性」など多方面で意識化され活動的な極右勢力が形成されているというのです。彼らはインターネットでつながり、政治集会で結集するとしています。

そして韓国の保守エリート勢力は、進歩勢力に権力を持たせたくないという理由から、こうした極右勢力を憂慮しながらも利用するとします。

著者はこうしたバックラッシュが「両極化する対決政治の中で国家の心臓部まで入ってくる過程」と現状を分析し、民主主義と道徳的な価値を守るべきと強調します。

・老人の自殺率がOECDで最高に

 経済紙『毎日経済』の2日付け社説です。この日は韓国は『老人の日』でした。22年、韓国の65歳以上の自殺率(10万人あたりの自殺者数)は39.9名で、OECD(経済協力開発機構)会員国の平均(17.2名)の2倍以上だったそうです。80歳以上の自殺率は60.6名とのことです。

特に男性の自殺率が高く、65歳以上では65名、80歳以上は118名、90歳以上は122名とのこと。背景には孤独と生活苦があるとし、これを改善するためには「雇用」と「社会的ケア」が必要と結論づけました。来年、韓国の65歳以上の人口が1000万人(人口約5200万人)を超えるとされます。

・「多文化家庭」の生徒18万人に支援を

『東亜日報』の9月26日付け社説です。韓国では今年「多文化家庭」に生まれ育つ小中高生の数が18万人に達したそうです。「多文化家庭」とは父母のうちどちらかもしくは両方が、海外にルーツを持つ家庭のことです。

学生の数は10年で3.2倍になったといいますが、韓国社会への適応の難しさから学業中断率も高く、大学進学率も40.5%と韓国ルーツの学生よりも低いといいます。これに対し政府は2027年まで3110億ウォン(約340億円)の支援を新たに行うと発表したとのことです。

社説では韓国の外国人の比率は5%に肉薄しているとしながら、ケアが不足している現状を取り上げ「低出産から移住民の存在が切実な状況で憂慮すべき状況」とし、支援策の充実を訴えています。

・抗議の焼身自殺と冷たい社会

6日、『聯合ニュース』にあるタクシー運転手が亡くなったという短いニュースが載りました。賃金未払いを理由に、先月26日に会社の前で焼身自殺をはかり、病院に担ぎ込まれるもこの日早朝6時20分ころ息を引き取ったそうです。

このニュースを引用したある市民の「セウォル号の時と比べると本当に何事もなかったかのように過ぎてしまった梨泰院惨事もそうだし、今もこうやって各地で人々が死んでいくのに、震えがくるほどひたすら静かだ。人々の命の値段がどんどん安くなる気分だ」というツイートが、7000回近くリツイートされ、大きな支持を集めていました。

Raspberry
@antirain03
세월호때와 비교하면 정말 없었던 양 지나가버린 이태원 참사도 그렇고 지금도 이렇게 각지에서 사람이 죽어나가는데 소름끼칠정도로 조용하기만 하다. 사람 목숨값이 점점 싸지는 느낌이다.
MBC News (MBC뉴스) @mbcnews
회사 앞 도로에서 분신을 시도했습니다. https://t.co/BI9eVEV4d4
2023/10/06 18:37
7000Retweet 2076Likes

もうすぐ梨泰院での惨事から一年です。今後、取り上げていきます。

◎あとがきに代えて:支持者にだけ語りかける韓国政治

 昨日9日、退院したばかりの共に民主党の李在明代表がソウル江西区長選の応援演説を行うというので、現場に足を運んできました。

『パルサン』という地下鉄5号線の駅を出てすぐの狭い広場に500人ほど同党の支持者が詰めかけていたでしょうか。ハンスト明けの李代表の登場に、ひとびとは大喝采で「李在明コール」を送っていました。

同党の優勢が伝えられていることから、演説会場はノリノリでした。

年齢層は幅広く分布しており、男女比も半分半分とバランスの良い構成でした。皆、李代表の姿を一枚でも多く写真に収めようと精一杯手を伸ばし、スマホを構えていました。私も負けじと撮影していたのですが、後ろから「早く撮り終えろ」という声を聞きました。

しかしそんな状況を見ながら、新鮮さは一つも感じませんでした。

李在明氏の演説も、別の著名政治家の演説も、語尾には必ず「〜〜〜じゃないですか皆さん!」、「〜〜〜〜でしょう、皆さん!」と言った呼びかけがありました。

そうなんです。いつからか、韓国の政治家の演説は支持者に合いの手を求める呼びかけ、単なるマイクパフォーマンスになっているのです。これは与党も全く同じです。相手をこき下ろし、自党を持ち上げるという、演説とはとても呼べない子供じみた空間です。

そこには大衆を演説で説得するといった気概は全く感じられません。政治ビジョンを語る必要もなく、ただひたすら盛り上げるだけです。

1971年4月、当時、朴正熙大統領のライバルだった野党政治家・金大中はソウル市内の奨忠壇公園で100万人の市民を前に演説しました。その音声を聞いたことがあるのですが、広く市民に語りかけるもので、決して今のようなものではありませんでした。

いつから韓国政治はこうなってしまったのでしょうか。語るべきビジョンを失い、陣営間の争いだけになっていないか、そんな苦い思いを抱きながら帰路に着きました。

現場であった記者の先輩と一緒にスンデクッのお店に寄りました。次回こそはグルメルポを書きます。

現場であった記者の先輩と一緒にスンデクッのお店に寄りました。次回こそはグルメルポを書きます。

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